目黒区虐待死事件・母の獄中手記を読んで

はじめに

ぼくは常々、人はどうしたら幸福になれるかと考えている。ぼくの反出生主義的思想とはカッコ良くいえばそうした普遍的な幸福追求の思索の道すがら逆説的に出会った考えのひとつである。人の一生とは客観的に見ればそう恵まれたものではない。しかしながら幸福とは究極の主観であるからして本人が幸福だと感じれば、是即幸福であることに間違いはない。しかしこれを認めるということは経済的にも恵まれ、容姿にも恵まれ、他者に愛されているような誰がどう見ても幸福な状態であっても本人が不幸や苦痛を感じることもあるという逆の事態も自ずと認める必要が生じるわけで、そういった意味ではたとえ主観的に幸福な一生が確約されていたとしてもやはり始めから生まれないことが何より良いという帰結をぼくがぼくにもたらす。人は幸福になれると決まっているわけではない。結果として幸福に至ることができたとしてもその途上には多くの苦痛がある。それならば最初から生まれない、生まれさせないことが何より良いのではないか。ところで先ほどの例とは逆に誰がどう見ても不幸で苦痛な状態の具体的な事例とはなんだろうか。生みの親、育ての親から愛情を受けることなく、食事も十分に与えられず、日に日に瘦せ衰えていく身体に容赦なく暴力を振るわれながら死んでいくことはそうした苦痛の一例だろう。目黒区虐待死事件はまさにこうした苦痛を味わう一人の女児によって生み出された苦痛にほかならない。止むことのない教育という名の虐待・暴力を繰り返す継父と、DVによる精神的支配に伴い虐待に同調する母親との間でおよそ2年もの間苦しんだ結愛ちゃん。「お腹が痛い、と小さい声で言って、パタッと心臓が止まった」【90】以下断りがない限り、【 】内の数字は船戸優里著『結愛へ 目黒区虐待死事件母の獄中手記』小学館 2019の引用箇所のページ数を示すその時まで彼女は何を思っていたのだろうか。残念ながらその真意を聞くことはもはやできないが、先日様々な罵詈雑言が渦巻く中、小学館より母親の手記が出版され、母親の視点から結愛ちゃんの死を追体験する機会が与えられた。もちろん追体験とはいっても私、本(編集者)、結愛ちゃんの母親、、、といくつもの色眼鏡を通じて見える結愛ちゃんの死の一端にかろうじて触れる程度のものであるが、虐待死事件の当事者が事件について語る本もそう多くないので興味本位で購入した次第である。簡単な要約と船戸家の各人の印象などについて述べられたらと思う。

要約および感想

本記事は結愛ちゃんの死の一端を垣間見ることが第一義である。そのため船戸優里被告の逮捕、取り調べ、公判について書かれた第4,5,6章についての要約は割愛する。DV被害者でありながら加害者として裁かれる立場となった被告が弁護士や精神科医ルポライターなどの出会いを通じて徐々に心を開き、少しずつ事件、そして己と向き合っていく姿は一読に値するものの、それ自体は結愛ちゃんの苦しみとは関係がない。そのため本記事では結愛ちゃんの誕生から死までが書かれた第1,2,3章のみ要約および感想を述べることとする。予めご了承頂きたい。また手記に加え、事件を取り扱ったドキュメンタリー番組において取材を受けていた方々の証言も手記の時期にあわせて適宜引用することとする。

第1章

1章では結愛ちゃんの実父との出会いから、結愛ちゃんの誕生、実父との離婚そして雄大との結婚と長男の妊娠までが書かれている。実父と優里は中学時代は部活動で面識がある程度だったが高校生の終わりごろから関係が深まり、付き合うようになる。この頃の心情を「私の視界がぱぁーっと開け、見ていた世界に鮮やかな色がついた」【20】とか「あんなに脳みその奥から足のつま先まで、全身がとろけそうになったことなんてなかった。」【21】と回想するほどに優里は彼に心酔していた。そんな彼女が結愛ちゃんを身ごもったのも卒業して間もない頃だった。2人の若い夫婦は仕事と育児を両立しながら結愛ちゃんを育てていく予定だったが、夫の浪費癖や夫の側が拒否するセックスレスなど様々な問題を抱えた末に、別居を経て離婚(2014年8月)した。付き合い始めた頃「俺に見合う女になれ」【21】と豪語していた彼との関係は結愛ちゃんが3歳になるのを待たずに破綻した。彼の捨て台詞は「お前はマグロだからな」【28】であった。

離婚後はシングルマザーとして夜の仕事と子育てとの両立、前夫のタカリなど苦労もありつつも、結愛ちゃんとのささやかな幸福の日々が続いていた。そんな忙しい日々が1年ほど続いた頃、職場のキャバクラでボーイとして働いていた男と「運命的」な出会いを果たす。それが他でもない雄大だった。「彼からたくさんのことを学びたい、彼に導かれたいと、本気で思うようになった。」【36】と振り返るようにまたも彼女は男に心を奪われていった。さらに結愛ちゃんともすぐに親しくなり、前夫とは対照的に彼女が外出時には子守や家事をする雄大に「結愛の実父とは大違い。私は今度こそ、お父さん、お母さん、娘という憧れの家族になれるはずと信じるようになった。」【36】と思うほどであった。

しかしボーイと嬢の恋愛はご法度。2015年11月に情事が店に知れると彼は独断で2人で店をやめる決断をする。この決断はやや強引ではあるものの、決断力のある男性として優里の目には映っていた。そして彼らと結愛ちゃんは香川県善通寺市内で同居を開始し、優里はこの時期に長男を妊娠し、雄大は地元の冷凍食品会社に就職する。当時の雄大の様子を会社の上司は以下のように述べていていた。

入社の意志というかですね、家族ができるのでとにかくやらないといけないというですね、そこはちょっと本人も覚悟を決めて面接に臨んていましたので、非常に印象は良かったし、やる気というか熱意が非常にもうよく見えたというのはありますね。(FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品・なぜ 結愛ちゃんを救えなかったのか〜目黒・虐待死事件~、以下FNS)

また、同時期には東京で働いていた頃にバーで知り合った年上の男性に以下のようなラインを送信している。

2016年1月7日
★追伸★式はまだ未定ですが、とりあえず4月4日に香川で今付き合っとる仔(原文ママ)と籍を入れることが決まりました...(笑)
(ザ・ノンフィクション・親になろうとしてごめんなさい~目黒・結愛ちゃん虐待死事件~、以下ノンフィクション)

2016年4月16日
ご連絡が遅くなりましたが、4月4日に無事入籍致しまして(顔文字)ついでにお腹に子供も出来まして...9月末には2児のパパになります(顔文字)
(ノンフィクション)

しかしこうした社交的な姿とは裏腹に彼のモラハラ気質、DV気質的な一面は入籍前からすでに垣間見えていた。キャバクラ時代の連絡先を消すことや結愛ちゃんに対するしつけの仕方について彼は10分もかけてなぜ消した方が良いのか、なぜしつけをした方が良いかについて彼女がそれらの件に同意しているにもかかわらず延々と説明していた。そうした彼の姿勢に最初は意味が分からなかったと述べている彼女だが、説明が終わると「私たちのためにこんなにたくさんのことを考えてくれているんだと、しまいには感激した。」【39】と好意的な印象を抱いている。振り返れば結愛ちゃんにとってここが地獄の入り口だったのかもしれない。

第2章

2章では雄大を追って上京するまでの結愛ちゃんへのしつけと称した虐待のエスカレートの日々が綴られている。彼は今まで遊んでばかりいた結愛ちゃんを「改善」すべく、一人でお風呂に入る練習や、モデル体型にするための食事制限、注意書きの貼り紙を通じたマナー(例:ドアを静かに閉める)の指導などを開始する。こうした彼のしつけは徐々にエスカレートしていく。「これまで適当に聞いていたことも今すぐ実行しろ、と怒られるように」【42】になり、説教の度に泣く優里を慰めていたのもいつしか「泣いて許されると思うなよ」【43】へと変わっていった。彼に説教される恐怖と焦りはやがて優里の結愛ちゃんへの態度を厳しいものへと変化させる。そしてついに水への顔つけの練習中に怖がりなかなかできない結愛ちゃんに対し優里は声を荒げ手の甲を叩いてしまう。この行為は近隣住民に児童相談所へ通報されてしまった。この時点から児童相談所に結愛ちゃん存在は認知されていたこととなる。

さらに2016年9月に長男が生まれると結愛ちゃんへの「しつけ」はより直接的なものとなる。結愛ちゃんは雄大から直接長時間の説教を受けることとなった。そして2016年11月に結婚式を挙げるなど傍から見れば幸せの絶頂ともいえる時期に原因は明らかにされていないが、結愛ちゃんは雄大からサッカーボールのように腹を蹴られてしまう。これを機にタガが外れたように虐待は激化していく。しかしながら結愛ちゃんへの説教に対し「怒るのも体力がいるんだ。俺は疲れているのにお前らのために怒ってやっているんだ」【54】という自論を展開する雄大に、優里は「説教するってこんなにストレスかかるんだ。こんな大変なことを彼にさせてきて、彼に苦労かけてしまって申し訳ないな――そんな気持ちになった。」【54】と感じており、典型的なDV被害者の心理状態であることが素人ながら読み取れるほどだ。

そして2016年12月25日に結愛ちゃんが児童相談所に一時保護される事件が起こる。「隠れてお菓子を食べてたから結愛を怒った」【56】雄大は結愛ちゃんに左耳・額の内出血、口唇裂傷、歯の破折の怪我を負わせのだ。近隣の通報者は当時の結愛ちゃんの様子を以下のように述べている。

ピンクの薄いパジャマの上下で、裸足だったんですね、夜の9時ぐらいだったんですけどご飯食べてないって、裸足で放り出しているのはひどいと思って冷たかったので背中をさすってあげて少しでも温かくなればと思って警察待っている間にも「おうちにかえる?」って聞いたけど、「帰りたくない」ってはっきり言われたので(FNS)

この保護の際、優里は病院の駐車場で女性警官からアザがないと結愛ちゃんと施設に同行することはできないと伝えられたことで彼女の誤ったDV観が構築されることとなる。すなわち精神的なDVはDVに当たらないと理解してしまったのだ。そして1か月後、保護が解除され自宅に戻された結愛ちゃんへの虐待は最初のうちこそ見られることはなかったものの徐々に保護前と変わらない雄大の暴力性が姿を現す。彼は身体的な虐待に加え、結愛ちゃんを罰として鬼が棲むという山へ車で連れて行き、その山の小屋に放置し、その様子を笑いながら眺めるといった新たな「しつけ」を行い始めた。手記には必死に車を追いかける結愛ちゃんに対し、「彼は結愛が怖がっている様子、必死に追いかける様子を私に楽しそうに、笑いながら聞かせてきた。」【64】と虐待を楽しんでいる様子が記されている。そして保護解除のわずか1か月半後の2017年3月19日、結愛ちゃんは2度目の一時保護を受けることとなる。警察官が1人でいる結愛ちゃんを発見する。この時の結愛ちゃんは下顎下の内出血、腹部鈍的外傷、右腸骨・大腿部外傷という怪我が確認されている。この状況を受け、医療機関児童相談所に対し、一時保護ではなく施設入所に切り替えるよう進言する。これは児童福祉法28条の申し立てに基づき、家庭裁判所の承認を得て保護者の同意なしに施設入所等を行うことができるというものである。しかしながら児童相談所は怪我の程度から家庭裁判がこれを承認しない可能性が高いと考えていたことに加え、申し立てをした場合、その事実が雄大ら船戸家に知られ、その後の家庭支援が難しくなると判断しこの申し立てを行わなかった。ちなみに雄大は前回の一時保護も併せて2度目の書類送検がなされることとなったがいずれも不起訴になっており、書類送検はおろか虐待の事実さえ職場に知られることはなかった。

2017年7月30日に一時保護が解除されるも、1回目と異なり、児童福祉司指導措置など社会からの監視の目が強くなることにストレスを感じていたのか、雄大は再び上京し、新たな土地でやり直すことを決める。まず雄大が12月17日に単身上京し、住居や仕事の目途がついてから優里と子供たちが上京することとなった。雄大がいない間、結愛ちゃんたちは優里の実家へ帰ることとなる。晴れの日は公園に出かけ、雨の日はショッピングモールへお出かけ。遊園地に行ったり、祖父母のためにカレーを作るなど他の家庭の子供なら当たり前のような日々を結愛ちゃんはようやく手にすることができたのだった。しかしそれも束の間の休息に過ぎなかった。

「家族には児相に保護されたことは言っていない。再婚だし、息子もできて、結婚式までした。今さら戻れない。彼には親を頼るな、と言われていた。家族には心配かけたくないし、東京に行きさえすればみんなうまくいくはずだから、もう大丈夫。」【73】

第3章

3章では実家での楽しい日々から一転して始まった東京での地獄のような虐待とそれによって命を落とすまでの結愛ちゃんの様子が書かれている。年が明けて2018年1月23日、結愛ちゃんたち3人は雄大の契約した目黒区のアパートへ上京してきた。優しい父親、夫だったのもわずか2日ほどで、雄大はなかなか就職が決まらない焦りから再び凶暴な姿を優里と結愛ちゃんに見せつけ始めた。結愛ちゃんの外出は基本的に許されず、勉強を強いられることとなる。雄大の機嫌が良いとDVDを見せてもらえるが、悪いと怒られ、食事を抜かれた。そして著者の記憶によると2月4日からは優里が結愛ちゃんに関わることを禁止され、結愛ちゃんは2DKの部屋の6畳半の物置部屋で1人で過ごすことを命じられることとなる。外出は禁止され、午前4時に自分でかけた目覚まし時計で1人で起床、ノートに体重を記録し、九九の暗記、ひらがなの練習をすることが日課だった。朝食はスープ1杯、昼食はごはん茶碗3分の1で夕食はごはん茶碗2分の1、言う事を聞かなければ1日1食に減らされた。しかし優里もひたすらに雄大に従っていたわけではなく起床時間を彼にバレないように遅らせたり、食事とは別にお菓子などを与えていた。「朝、彼が起きるのは9時半だった。結愛は4時に起床と彼に決められていたけど、そんなに早く起こさなくても大丈夫。その間ゆっくり寝かせてあげよう。」【83】、「彼に怒られないように、体重が増えないように、彼が寝ている間に、そっと結愛を起こして、カギのかかるトイレで菓子パンやチョコレート、チーズといったものを食べさせた。」【83】というように親として褒められたものではないが、なんとか雄大の隙をついて結愛ちゃんを何とかしてあげたいという思いもうかがえる。

一方でこうした虐待の裏で雄大の社交的な性格は目黒でも健在であったことを近所のバーの店主や住民が証言している。

店主「この界隈のことを知りたいとか、前の仕事を辞めて新たなスタートを切ろうと思って来ましたみたいな。自分のお尻をたたいて頑張っていくんだ希望に満ちていたんだろうなということは表情も無邪気でしたからねその話を伺っている時は」
店主「1週間後に奥さんとお子さんがいらっしゃいると。で上の子が今度小学生になる。でも僕の自分の子じゃないんですよってことはご本人からおっしゃっていました。ただまあ今度小学生、小学校1年で入学なんでっていうのはちょっと嬉しそうに話していましたから、だからかわいがってらっしゃるのかなって素直に思いましたけどね僕は」
(ノンフィクション)

男「うちにあいさつに来たんだよ。隣に越してきましたって。手土産持ってきたんだって」
女「海苔、ちゃんと袋に入った」
男「あいさつに来るなんてめったにないよ」
女「明るいですよ。いい感じの」
男「俺たちの仲間になれるなって」
(FNS)

このように一見すると虐待をするような父親には見えない彼の社交的な姿は結愛ちゃんの被害を近隣住民から見えにくくさせたことだろう。そして結愛ちゃんは極度の栄養失調と虐待の精神的ストレス、暴行による身体機能の低下に伴い徐々に衰弱していく。2月23日に元同僚との飲み会で「娘が言うことを聞いてくれない」「小学校にあがるのでちゃんとしつけないといけない」と愚痴をこぼしていた雄大はその数日後、勉強を怠り寝ていた結愛ちゃんに激昂し力の限り暴力を振るった。被告人質問で「首をつかんで風呂場に連れて行き、顔に冷水を浴びせました。謝れと怒鳴ったけど謝れるわけもなく、そのまま両手で顔面を殴ったと思います。手加減をした記憶はありません」と述べるほどに凄惨な暴行であったことがうかがえる。この日から結愛ちゃんは食事を受け付けず、嘔吐を繰り返すこととなる。優里は結愛ちゃんの具合に心配するもダイエットになるから良いと言う雄大に歯向かうことはできず、アザが消えるまで病院に行かせないという雄大の意見にも同調していた。3月1日に久しぶりに結愛ちゃんとお風呂に入った優里は瘦せ衰えた結愛ちゃんを「3月1日、この日だけははっきり結愛の体を見た。戻したものが髪についていた。(中略)座っている結愛の髪を洗ってあげていた時、あまりに痩せているから、ショックというか、怖くて、見てはいけないものをみたかのように、急いでタオルでくるんでしまった。痩せていて、そう、たしかに背中に大きな傷があった。」【87-88】と振り返っている。翌日の3月2日には立つこともままならない状態でずっと横になっていたが、お腹が痛いと小さい声を発すると結愛ちゃんの心臓が止まった。上京前に16キロあった体重は12.2キロまで落ち込み、暴行と栄養不足による免疫力低下から引き起こされた肺炎による敗血症で結愛ちゃんは亡くなった。ちなみに119番への通報は雄大が当日の午後6時29分に行っている。

船戸家

さて手記とドキュメンタリー番組を通じて結愛ちゃんが死に至るまでの一端を覗いてきたが、ここで船戸家の家族構成を一旦整理しておこう。船戸家は夫の船戸雄大(1985年生まれ)と妻の優里(1992年生まれ)、優里の連れ子の結愛(2012年生まれ)、長男(2016年生まれ)の4人家族である。また、ドキュメンタリー番組では結愛ちゃんの実父の祖父母が取材に応じていたが、優里の両親や雄大の両親の確たる情報を知ることはできなかった。取材に応じていた祖父母も孫である結愛ちゃんの死は報道を通じて知ったと番組で述べており、当然のことながら船戸家とは関係が希薄だったことがうかがえる。このような閉鎖的な核家族を形成していった雄大と優里の生い立ちや性格はどのようなものだったのだろうか。簡単ではあるが振り返りたい。

優里

優里の家庭は虐待などとは無縁だった。父は陽気で真面目で地域の行事にも積極的に参加するような社交的な性格であり、反抗期の優里に対し怒ることもない優しい性格であった。一方の優里はこれとは正反対である。例えば、『小学校の時は話しかけられた時に「えっ?」と大きな声で聴き返してしまう癖を指摘されたことがある。どうでもいいことかもしれないけど、言われた私とすれば深く深く考え込んでしまう。』【185】、『私は中学校の時に「途中で話が途中でいきなり変わるからびっくりする」「ちょっと変わってるね」と言われたことがある。』【185】、『誰に対してかわからないが、とにかく「ごめんなさい」といつも思っていた。「近寄らないでくださいオーラが出てる」と言われたこともある。だから高校生になってもみんなに嫌な気持ちを与えないように、なるべく静かに生活を送った。』【185】という学生時代の回想にもあるように、対人関係スキルがやや低く、自己肯定感が薄い印象がうかがえる。だからこそ学生生活が終わることで、法的にも社会通念上も男性の性の対象となることで、そうした女性を性的に消費する男性や、高卒の優里にとって魅力的に映る知的な男性に自己の存在意義を見出しやすくなる。かつて俺に見合う女になれと言い放った田舎的な男性(前夫)が離婚時に吐いた「お前はマグロ」という捨て台詞をキャバクラ時代のセックスだけの付き合いの男性の「上手だよ」「ありがとう」という言葉がマグロを壊し、優里の自尊心を高めさせる。そしてそうした刹那的なセックスを論理的に否定、破壊する知的で都会的な男性(雄大)と出会うことで新たな自己肯定感、理想の男性像が創造される。このような破壊と創造を繰り返すシヴァ神のような男性遍歴の行き着く果てが雄大だったのだろう。都会的な男性からさらなる発展は想像しにくいし難しい。ここが優里の終着点だった。男性に影響されやすい彼女がカーリー神になるのも時間の問題だった。

雄大

雄大は優里とは対照的に小学校時代から常に話題の中心であった。さらに良好な人間関係に加えてバスケットボールに長けていた。卒業文集には日本人初のMBA選手になるためにと題した文章を残していてる。一方で両親が不仲であったことや中学時代の部活(おそらくバスケットボール部だろう)でいじめに近いような経験をしたともいわれている。その後、大学進学を機に上京、在学中はバスケットボールサークルに所属しそこでも世話焼きなまとめ役と称されるほどサークル内での印象は好意的なものであった。卒業後は都内で就職し、湾岸周辺のマンションに住みながら三軒茶屋のバーに頻繁に顔を出していた。番組内でバーの関係者は誘いには基本断らず、呼んだら来るので人懐っこいという印象を抱いていたという。こうした社交的な性格とは裏腹に彼は就職した会社になじめず就職から6年後、自ら異動を願い札幌に転勤してからは毎日嘔吐しながら通勤していたと言われている。そして札幌で勤めていた会社を辞めるとすすきのでボーイとして働き始め、そこも辞めると香川県のキャバクラでボーイになり優里と出会うことになる。社交性の高さ故、他者からどのように見られるかということを気にする性格が結愛ちゃんと接する中で歪な方向へと動いていく。当初は幼少の自分と結愛ちゃんを重ね合わせ、結愛ちゃんに足りていない部分を自分の教育、しつけによって改善し、自分のようにクラスの中で人気者になってもらいたいという思いからだったのだろう。それが彼の性格なのか、生物学的なものなのか定かではないが、いつしか激しい虐待へと変わっていった。一方で結愛ちゃんのためにランドセルを買い与えたり、近隣住民へ今度小学校に入学すると会話を交わしていたりと雄大の二面性がうかがえる。

結愛ちゃんの弟

ところでこの事件で忘れがちになるのが雄大と優里の子、結愛ちゃんの弟の存在である。彼はわずか1歳半で両親と引き離され、現在おそらくは乳児院ないしは児童養護施設あるいは里親の下で育てられているはずだ。あのまま劣悪な家庭環境で育てば彼もいずれ虐待の直接の対象になっていたかもしれず、その意味では保護してもらった方が相対的にはよかったのかもしれない。しかしながら物心がつき、なぜ自分にはクラスの子たちのような家庭にいることができないのかといった疑問を持ったり、自分の両親が犯した罪について知った時、それらが彼を苦しめることとなるのはもはや自明であるといえるだろう。優里は息子に対し、「あなたが生きているだけで私も、あなたのまわりの人もみんな嬉しいんだよ。あなたが生きているだけで充分だよ。」【139】と述べているが、それで彼という現存在が苦しみから解放されるというわけではない。この「生まれさせた」という事象の重さについて彼女が理解できるようになるには永遠の時間が必要なのかもしれない。

結愛ちゃん

さて手記やドキュメンタリー番組を通じて結愛ちゃんの死の一端に触れてきたが、こんな文字情報だけでは彼女がどれほどの苦痛を感じていたか理解などできるはずもないだろう。手記には雄大が単身上京した後の母娘水入らずの日常を切り取った写真が掲載されている。既に2度の一時保護をされながら殊勝に笑い、ピースする結愛ちゃんの姿に我々は何を思うべきなのだろうか。

遺伝子が我々に仕向ける

連れ子に対する虐待は少なくない。昨年も大手重工メーカーに勤務する男が内縁関係にあった女性の3歳の長男に暴行し死亡させた事件などが記憶に新しい。ぼくは連れ子として育ったことも連れ子を育てたこともないので、血縁関係のない親が子供にとってどのように映るのか、反対に血縁関係のない子供が親にとってどのように映るのかについて肌で感じることはできない。そのため生物学的な側面から血のつながっていない子供に殺意、敵意を感じるように我々人間はインプットされているように思うこともしばしばある。働きバチは決して利他的精神から子供を産まず、働きバチに徹しているのではない。血縁度を考えた場合、自分で子供を産むよりも女王バチが産む姉妹を育てたほうがより自分の血を残すことができるのだと考えた時、血縁度0%の「子供」を育てることに生物学的妥当性はあるのだろうか。理性的な人間は普遍的な人間の姿ではない。我々は常に残酷な生物である。代謝を必要とする以上、常に動植物を含む他者を害して自己を維持しているのだから。

おわりに

本書においても他の虐待事件の報告書や識者のコメントにも頻繁に見受けられる言葉がある。再発防止だ。そろそろ犠牲を伴う人類の漸次的な進歩を前提とした功利主義的思想を端的に表した再発防止という言葉を用いることをやめてはいかかがだろうか。人は再び生きることも死ぬことはない。苦しんで死んでいった子供たちの真の再発は存在しないのだ。個々人の苦しみを類型化しその発生の防止を考えることなど無意味である。結愛ちゃんが苦しんで死んだ事実は変わらない。それでもあなたは功利主義の観点から死ぬ間際の彼女に対し、君の死が今後起こりうる「同様」の虐待を防止する礎となるのだよと面と向かって言えるだろうか。少なくともぼくは言えない。虐待によって苦しんで死んだ結愛ちゃんの再発防止など存在しないことに向き合い、この忌々しい苦痛の再生産を止めることができるのは我々現存在にしかできない、現存在に課された使命である。


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参考資料
『結愛へ 目黒区虐待死事件母の獄中手記』 船戸優里 小学館 2020
『FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品・なぜ 結愛ちゃんを救えなかったのか〜目黒・虐待死事件~』
『ザ・ノンフィクション・親になろうとしてごめんなさい~目黒・結愛ちゃん虐待死事件~』