続・スタプリと反出生主義

この記事はスタートゥインクルプリキュアと反出生主義の続きです。
前回の記事はこちら。
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物語の展開~最終決戦~(48話)

フワの尊い犠牲により宇宙は救われたかに思われた。しかしながら不敵に笑うへびつかい座のプリンセスがそこにはいた。戦いは終わっていなかったのだ。ひかる達のフワを消したくないという思いが宇宙を平和へと導く大いなる力の完成を邪魔してしまったのである。すべての力を使い果たしプリキュアに変身することも叶わなくなってしまったひかる達はスターパレスを、宇宙を飲み込まんとするへびつかい座のプリンセスの大いなる闇と呼ばれる力になすすべもなく、ブラックホールような穴に吸い込まれてしまう。そしてその力は地球や異星人の住まう星々をも飲み込み宇宙は完全に大いなる闇に飲み込まれた。そしてへびつかい座のプリンセスは「イマジネーションを分け与えられし忌々しき者どもよ、宇宙と共に消えるがいい。さあ飲め、宇宙を。宇宙は無に帰する。そして新しいわれの宇宙が始まる」と勝利宣言を述べるに至った。

事象の地平線の向こう側に飲み込まれたひかるはフワやプリキュアの力を失ってしまったこと、この宇宙が終わってしまうことを悔しいながらも他の仲間たちとこの宇宙の終焉を半ば諦めている様子であった。しかし偶然にも漂っていたトゥインクルブック(もとはひかるの私物のノートで自作の星座などを書き込んでいた。フワと出会う以前にフワを模した星座を書き込んでおりそれがフワと出会いプリキュアになるきっかけとなった)と再会することで艱難辛苦を共にしたフワとの日々を思い起こし、「宇宙は消えてない。まだある。まだ残ってるよ。私の私たちの心の宇宙」と言い、仲間と共にアカペラで「きらめく星の力で憧れの私描くよ。トゥインクルトゥインクルプリキュア」とプリキュアの変身シーンの口上を歌い始めた。すると消えていたはずの変身スターカラーペンに光が宿り、再びプリキュアの力を手にするのであった。

5人の力を結集し最後の決戦に挑むプリキュアであったが、序盤はへびつかい座のプリンセスの強大な力に圧されてしまった。へびつかい座のプリンセスはさらに「不完全なイマジネーションなどわれの宇宙には要らぬ。そんなものが蔓延るから宇宙は歪むのだ。われの宇宙こそが美しい。われの宇宙こそが完全なのだ」という主張を展開し、論争の上でも優位を誇っていた。しかし戦況はスターの「そんなのつまんないじゃん」の一言で一変する。そして立て続けにミルキーが「そうルン。みんな違うイマジネーションを持ってる。だから、だから宇宙は楽しいルン」と述べる。次にコスモが「それがあるから苦しむこともあるニャン」と譲歩するもソレイユが「でも、だから分かり合えた時の笑顔が輝く」と主張し、さらにセレーネが「イマジネーションがあるから私たちは未来を想像できるんです」と畳み掛ける。これに対し、プリキュアの主張に聞く耳を持たず、全身全霊を込めた大いなる闇を放つへびつかい座のプリンセスであった。だが、スターが「イマジネーションはさ、消すよりも星みたくたくさん輝いていた方がキラやば~だよ」と言うと宇宙に輝く無数のイマジネーションの光が現れる。そして全宇宙のイマジネーションを味方に渾身のスタートゥインクルイマジネーションをプリキュアが放つとへびつかい座のプリンセスはあえなく敗北した。

宇宙に再び平和が訪れた。気を失っていた地球や宇宙の人々はプリキュアが宇宙を救ったことなど知る由もなく、異常気象や集団ヒステリーの類で本事案を片付けてしまうだろう。しかしプリキュアはたしかに宇宙を救ったのであった。プリキュアへびつかい座のプリンセスを消し去ることはせず、あくまで大いなる闇だけを取り去った。そしてへびつかい座のプリンセスは「プリキュア、では見せてみろ。キラやばな世界とやらを。もしその世界が誤っていればわれは再び現れよう」と捨て台詞を吐き、宇宙の何処かへ消えていった。一度プリキュアの力を失い、再び力を獲得し、大いなる闇に打ち勝った彼女たちは12星座のプリンセス達の借り物の力という状態を脱却し、真の意味でのオリジナルのプリキュアとなった。それは石にされた惑星レインボーの人々を元に戻すくらい造作もないほどの力である。そしてそれはプリキュアの力を失うという代償を伴うが、消えてしまったフワの再生をも可能にする力であった。フワを再生したいという思いと力を失うことに対する迷いで葛藤するスターであったが、仲間の言葉(コスモも石にされた惑星レインボーの人々の救済は改心したアイワーンに任せることにしフワを再生させるために力を失うことに同意した)に推され、フワを再生することを決心する。残念ながら再生されたフワはひかるとはじめて出会った頃の成長途上の姿をしており、記憶もひかるの名前をかろうじて憶えているだけの状態であったが、ひかるは涙を流し感動の再会(ただしフワが同一であるという保証はなく、厳密な意味で再会であるかは不明)を果たしたのであった。プリキュアの力を失い、地球へ帰らなくてはならなくなったひかるたちはフワをプルンスおよび12星座のプリンセスたちに託し、ララとも再会を誓う。ララはひかるとの別れに感極まるも力を失ってしまったことで地球の言葉を話すことが出来なくなってしまったが、「ひ、か、る、あ、り、が、と」と微かに記憶されていた言葉とサマーン星人の有する触覚で感謝の思いを伝えることができたのであった。

ワームホールを通じ地球に帰還したひかるたち。彼女たちの頭上には燦然と輝く星々と五角形に光るプリキュアの星が夜空を照らしていた。

物語の展開~最終話~(49話)

プリキュアの力は失ったものの、それぞれの日常が動き出す。ユニはアイワーンの協力により惑星レインボーの人々を助け出すことに成功し、ララもサマーン星人として惑星の調査員の仕事に再び従事することとなった。

そして時は進み、ひかるたちは大人になった。ひかるはララとの約束を果たすかのように宇宙飛行士になり日本初の有人宇宙飛行プロジェクトの搭乗員としてまさに宇宙へ飛び立とうとしていた。そしてまどかはそのプロジェクトメンバーとして、えれなは日本の計画を祝福するアメリカ政府の高官の会見を同時通訳する通訳士としてそれぞれがそれぞれの道を歩みながらも3人は繋がっていた。その頃、惑星の調査員としてレインボー星を訪れたララはユニと互いに現況の報告をしていた。地球には遠すぎて行けないがひかるとまた会いたいというララに対しいつか会えると返すユニ。彼女たちもまたプリキュアの力を失っても固い絆で結ばれていた。そして発射を前によく眠れたかと問うまどかに対し、みんなとプリキュアになった夢を見たというひかるもまた、ララと会いたいと願っていた。

そんな遠く遠く離れた二人の思いが量子もつれのように同期した時、奇跡は起こる。突然ララにプルンスから連絡が入る。「ララー!フワがー!フワがー!」となにやら大慌てのようである。ちょうどその頃ひかるは宇宙へ旅立っていった。窓越しに「来たんだ。ララー、わたし来たよ宇宙に」と呟くひかるの前にフワの声が聞こえた。同時に窓の外がホワイトアウトし真っ白な光が笑顔と共に涙を流すひかるを包み込む。

真っ白な背景と「キラやば」というセリフを最後にアニメは終了する。その後の展開は視聴者のイマジネーションに委ねられた。

反出生主義とは

さてここまでスタートゥインクルプリキュアの説明に文章を割いてきたが、前回の記事で反出生主義についての説明が不足しているように感じたので、順番が前後するがごく簡単に説明することとする。

反出生主義とは簡単に言えば、人は生まれないほうがよいという思想のこと(人だけでなく動物や意識を持つロボットなど含む場合もある)である。これを敷衍すれば子供を産まないといった具体的行為が導かれる。基本的には生まれることによって生じるあらゆる苦痛を忌避することを目的にこうした主張に至るが、他にも生まれてくる人の同意を得ていないことや、地球環境保全、動物愛護の観点などから反出生主義を主張する者もいる。ここで注意してほしいのは反出生主義は、勝手に生まれさせられ、様々な苦痛を味わい、必ず死ぬという人間の生老病死プロセスを踏まえ、人は生まれ始めるに値しないとしている点である。だから現在生きている人間が生き続けるということを否定するわけではない。現在生きている健康な人間が自ら死ぬことを選ぶ場合、当然安楽死は認められず、さらには死ぬことは望んでいなければそこに苦痛が生じる。耐えがたい苦痛を味わっているなどの死んだ方が良い理由が特にない場合、苦痛がないこと、それが無理なら苦痛を減らすことを良しとする反出生主義にとって自殺という行為は本末転倒である。反出生主義に対する「反論」として一番に見受けられるなぜ反出生主義者は自殺をしないのかという問いは問いとして成立しえないのだ。

反出生主義のような思想は古くはブッダの教えから存在していた。近代ではショーペンハウアー、エミール・シオランなどの哲学者、思想家も同様の思想を展開した。彼らの思想を一つ一つ紐解いていくことは後々の私の課題としておくとして、今回は前回の記事で引用だけして終わったデイヴィッド・ベネターの反出生主義についてその概略を説明することとする。彼はおそらく脈々と続く反出生主義の流れの中で最新の代表的存在といえるだろう。

ところで自分の人生において何らかの理由(経済的な問題、子育て上の不安、子供嫌いなど)によって子供を持たない人生を選択するチャイルドフリーという立場は反出生主義に当たらない。反出生主義は人は生まれないほうがよい、翻って「人は」子供を作ってはならないという思想であり、チャイルドフリーはあくまで「私は」子供を作らないが他者が子供を作ることについての意見はないという個人主義的なスタンスに他ならないからだ。

ベネターの反出生主義

さてベネターの反出生主義とはと言いたいところだが、既にベネターに関しては素晴らしい解説がなされたブログ等の記事が多数見受けられるので、今回はそれを引用させてほしい。
(そのうち書きます...そのうち...)

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2020/12/26追記
十月十日の時を経てついに出生しました。

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おわりに

スター☆トゥインクルプリキュアにおける出生主義的思想、すなわち人間の出生とその後の人生の負の側面も含めて肯定するという思想は48話で特に見受けられることとなった。プリキュアへびつかい座のプリンセスの不完全なイマジネーションが存在することで宇宙が歪むという主張をつまらないの一言でバッサリ切り捨てた。そして苦しみはやがて報われるというお決まりの希望的観測を持ち出し、歪みの存在を正当化させた。このような希望的観測を持ち出すとき、彼女たちはどこまでの苦しみ、苦痛を想定しているのだろうか。

人の一生における苦しみとは想像以上に多種多様である。死や死に至る怪我や病、両親や配偶者との死別などの普遍的な苦しみ。死に至るほどではないが相当の肉体的苦痛を伴う怪我、日常生活を困難にさせるような後天的な障害や後遺症、慢性疾患など。あるいは経済的な困窮や人間関係、体型や容姿などのコンプレックスなど我々が直面する可能性がある苦痛は枚挙にいとまがない。そしてこうした苦痛は避けようと思っても避けられるものではない。これは日本語表現からも自ずと導かれる結論だ。幸福を追求するものであるとするならば、不幸は直面するものである。幸運を除けば往々にして幸福を手にするためにはそれなりの対価、代償が必要となる。対して不幸、苦痛は努力したところで避けることができるようになるわけでもない。

やはりプリキュアの希望的観測を不完全なイマジネーション(人間性)を肯定する理由とするにはいささか根拠が乏しい。歪んだイマジネーションを生み出すような人間性が存在しないことをつまらなくない、つまり存在しないほうが良いとする理由は多分にあるし、すべての苦しみが分かり合えるといった類のものというわけではない。願わくばへびつかい座のプリンセスももう少しプリキュアの主張に反論してほしいところであったがそこはやむを得ないというべきか。

さてここで私の反出生主義については少し述べさせてほしい。前回の記事で軽く述べたように、私は苦痛を感じる可能性のある意識を持つ存在をその存在の同意なしに生み出すことは道徳的に正しいと言えるのかという問いに正しいと答えるだけの理由を持ち合わせていないという点で反出生主義という立場をとっている。しかしこれでは同意を取り付けるならばその存在が存在していなければないが、存在していなければ同意を得ることはおろか何もできない。一方で、同意を得るために存在させてしまったらその時点で同意を得ずに存在させてしまっているので、存在させることの同意を伺うことは不可能という構造的な課題をはじめから包含しているという点で問いとして少し不完全であり意地悪ともいえるだろう。

それでは視点を変えて存在させられる側ではなく、存在させる側のみにスポットを当てて似たような問いを立ててみよう。その問いとは非存在をあえて存在させる根拠とは何かという問いである。生まれる前はみな非存在であった(赤ちゃんは生まれる前はお空に居て、お母さんを選んで生まれてくるといったスピリチュアルな立場や輪廻転生といった宗教的世界観は無視する)我々人間は両親の意志によって存在させられた。非存在とは存在していないこと、すなわち無である。意識も何も実体もすべて存在しない。完全なる無である。生まれたいと望んでいる主体がいるわけでも、生まれたくないと懇願している主体がいるわけでもない。完全な無だ。ではこのような非存在を(非存在を主語にすることは厳密にはできないような気もするがこの点については今は留保する)あえて存在させることの是非をわかりやすく電球になぞらえて考えてみよう。

・問い
数億、数十億というたくさんの電球が点灯している部屋にあなたとあなたのパートナーはいる。部屋にあるスイッチを2人で一緒に入れると電球がひとつまたは複数付き、一定時間経つと消える。部屋は十分に明るく、今のところすべての電球が消える気配はない。また部屋の電球がすべて消える時にはあなたとあなたのパートナーは既にこの部屋には存在していない。さて、あなたはスイッチを入れようとパートナーに言いますか?あるいはスイッチを入れようとパートナーに言われたらスイッチを入れますか?

電球やその他の事物が何を指しているかについては解説する必要はないだろう。さてこのスイッチをあえて入れる理由とはなんだろうか。私はひとつ目の問いと同様に、今のところその答えが見当たらない。なぜあえてスイッチを入れる必要があるのだろう。なぜあえて存在させる必要があるのだろう。存在することによって様々な苦痛を感じる可能性がある以上はあえて存在させる理由はない。仮に一切の苦痛を味わうことなく、徹頭徹尾幸福な人生を送ることが確約されてているのにも関わらず存在させなかったとしても、非存在である以上は幸福を味わうことができたはずなのにと悔しがる存在は存在しないため、やはりあえて存在させる理由はない。存在しないことはつまらないなどのプリキュア的、希望的観測以外の理由を思いついたら、是非教えてほしい。

その他に反出生主義の啓蒙とその実現可能性とその帰結としての人類絶滅などなど反出生主義を巡る諸々のテーマについてまだまだ述べ足りないところではあるが、これらは次の機会にでも記述するとしてスター☆トゥインクルプリキュアと反出生主義についてはこの辺りで筆をおくこととする。反出生主義と無自覚な出生主義について考える機会を我々に与えてくれてありがとうプリキュア