個人の自由である事をどう批判するか

この間、数少ない友人と自己啓発系宗教居酒屋の朝礼を見学した。

一口に自己啓発系宗教居酒屋といってもまったくピンとこないかもしれないが、要はアルバイトや社員をポエムのような優しい言葉、曖昧な言葉を以て、自身を鼓舞させ、労働者同士で結束力を高めさせ、労働環境の表向きの改善を図る、そういった活動を行っている居酒屋のことである。宗教については後述する。

見学とはいっても、実際に参加する体験型朝礼である。そして今回見学した居酒屋は、以前クローズアップ現代にて、現代に蔓延するポエムの一例として取り上げられていた居酒屋である。ゲストのコラムニストと大学教授からは「結果として醜い現実を隠ぺいする連帯させているようにみえて雇用者を分断させている搾取の形態」と評されていた。たしかに、大声で自己啓発セミナーのように幸せになろうとかツいてるツいてると絶叫するのは異様な光景に見えるし、率直な感想として気持ち悪いと思った。同時に怖いもの見たさで生で見てみたいというのもあり、今回見学してみるに至ったのである。

まず驚いたのが見学をしたいとの旨を伝えるために午前10時ごろに電話したのだが普通につながったこと。お昼の営業もしていないのに、夕方から夜まで接客してるのに、そのあと深夜まで仕込みの作業するのに、一体彼ら労働者はいつ寝ているのだろう。今回は、大学のサークルの結束力を高めたいので見学にきたという設定を基本としキャラを作りいざ出陣する。16時5分前、店舗の入口で待機していると引きつった笑顔の男性スタッフがはきはきとした接客で迎えてくれた。もう一組見学にくる予定なので少し待っていてほしいとお茶を出されながら説明される。グラスに入ったお茶が汗をかいてきたころ、自称会社経営のアロハシャツを着た男性とその友達だという女性が入店してきた。向い合せで座るよう言われ、初対面の人間と居酒屋で相対するというなんとも絶妙な空気が生まれる。

先ほど言ったように、見学ではなく参加なので、朝礼についての簡単なガイダンスが、先ほどの男性スタッフによって行われる。思っていることを口に出すことでハイな状態に持っていくことの大切さや同じタスクでも元気よく対応することの重要性など独自なノウハウを説かれる。朝礼の主な内容はイメージすること、スピーチすること、宣言をすること、鸚鵡返しの絶叫することの4つに分かれている。従業員と見学者が楕円になるように整列し、司会者の掛け声に合わせて進行していくそうだ。時間がきたようなので座敷から入口付近に移動する。心なしかBGMの音も大きくなっているようだ。

朝礼第一段階、まずはイメージである。先ほどの男性スタッフの方が司会者となり、金も制約もなにもなくなったとき、あなたはどんな夢を叶えたいか、そしてその時隣には誰がいるのか、などなどを上向き斜め45度で目を瞑りながら語りかけてくる。one directionの音も最高潮だ。どうやらこれは一般的な催眠術だそうで、まともに相手にしてはいけないそうだ。この頃はどうやってこの場面をカメラに押さえようか思案していたのでイメージ戦略には目もくれなかった。

それが終わると第二段階のスピーチである。日替わりのテーマ、今回は目標、に即したスピーチを挙手で指名された者が行う。どうやら自ら挙手することに意味があるそうで、壁を破る自分が大事なんだそうだ。一人目は女性スタッフの方に当たる。激しい絶叫で何を言ってるのかさっぱりわからない。他人に聞かれたくないのか、それとも自分さえしゃべれれば他はどうでもいいのかよくわからないが、もう少しおとなしく話していただけるとありがたい。2、3人とスピーチが回っていく。4人目に一緒に参加した知人が当たった。先ほどのサークルの結束力を高めるという設定の基、自分はヒラに甘んじているが技術を磨くことが主将への道が開けるベクトルだと信じてやっていくというなんとも臭いスピーチをそれも偽名で行ってくれた。吹き出すのを我慢するのがやっとである。勘弁してほしい。そして5人目の女性店員のスピーチも終わり、朝礼は三番目の宣言に移っていく。

この宣言とは、お互いに○○日本一、又は世界一を目指しますと宣言し、拍手をもって迎えられるというコーナーである。それも支える女とか子供たちの未来を作る男だの曖昧すぎて意味がわからない、まさにポエム宣言である。僕も早寝早起き日本一と偽名で宣言して知人を吹かせてやった。仕返しである。こちらもそつなく終わり、最後は絶叫で〆る。

絶叫は、スーパーハッピー、絶好調、やればできるなどといった普段は口が裂けても言わないようなセリフを手拍子と笑顔とセットで行う。どうやら表情と仕草も真似ることが大事らしい。こちらはやればできるに続き「はい」を10回ぐらい叫んだら終了してくれた。

大まかにわけて4つの工程でできているこちらの朝礼。異様な一体感を生み出す気味の悪さに店をでてから思わず大きく深呼吸をした。せっかくなので、いろいろ感想をということで近くのサンマルクカフェで一服する。甘い言葉で若者を搾取し、過酷な労働を隠ぺいする現場を生で見たかったのだが、どうしても珍しい朝礼を見ただけで、働いている彼女たちのリアルや本音を見聞きすることができずに終わってしまったことが心残りであったというのが共通見解であったのだが、知人は善悪二元論という視点でいろいろ考えていたのが印象的だった。僕は若者が搾取されている実態をただ事実として知りたかっただけなので、あまり良いとか悪いとか考えたことがなかった。しかしながら、彼の意見を聞いて、仮にこの居酒屋が労働基準法を順守し、深夜割増や、残業代をきちんと支払っていたのならば、果たしてこういった職場環境を悪だと決めつけることができるのだろうかと思った。たしかにあの職場で働いている人たちはみんな若い人たちであるけれども10年20年勤続することはできない。そういったときにその後の職に迷ってしまう、結局貧困から抜け出せない。朝礼のイメージや目標、日本一宣言なんてとてもほど遠い、それこそ醜い職場を隠ぺいするだけの言葉遊びにすぎなかったといずれ自覚する時が来ると思う。でもそれをいったら飲食業界すべてに当てはまってしまうわけであるし、どうも朝礼の気持ち悪さだけで若者の搾取だの貧困の構造だのに落とし込むのは難しいと思った。僕はこの朝礼が大好きだし、実際変われたんですと言われたら、へーそうなんですかとしか言えない。

一方で、こちらの居酒屋は、社長が倫理研究所というひとのみち教団パーフェクトリバティー教団)と同じ系譜の宗教法人(カタチ上は社団法人の体をとっている)の会員なのである。倫理研究所は居酒屋で行われている朝礼を活力朝礼と称して加盟企業などに布教している。これは完全な憶測だが、もともと母子家庭で育った若造の社長が渋谷などに店を出せるはずもなく、最初から倫理研究所の活力朝礼を宣伝するための窓口先として作った居酒屋の雇われ社長なのではないかと思う。そしてこの倫理研究所日本会議とも懇ろらしく、最近では教育機関への朝礼の布教にも余念がない。少し前に話題になった公立小学校での朝礼がそれである。

そういった意味では日本会議からお墨付きを頂いた宗教法人の布教活動のために搾取される若者という構図として少しわかりやすくなったのかもしれないが、信教の自由の前になかなかこちらも批判の落としどころが見当たりずらい。逆に入社して完膚なきまでに洗脳されて今度は布教する側になったらそれほど幸せなこともないだろう。

そういうわけで貧困はともかく、搾取を社会的に批判するのは意外と難しい。タダの見学だったけれでもそれなりに得るものがあったので居酒屋さんにはとりあえず感謝の意を述べておく。決して洗脳されたわけではないので悪しからず。ごちそうさまでした。食事してないけど。