ヒーリングっどプリキュアと反出生主義

花寺のどかとグレタさん

 
疫病の流行により放送スケジュールや放送話数に大幅な変更が生じた17作目のプリキュアシリーズである『ヒーリングっど♥プリキュア』の放送が無事終了した。今作のプリキュア善悪二元論的世界観に基づき、地球の保護を司るヒーリングアニマルおよびプリキュアと、地球の侵蝕を司るビョーゲンズとの飽くなき戦いを描いた作品である。

一見するとありきたりな地球環境保護をテーマにした作品のように思われるが、ヒーリングっどプリキュア(以下、ヒープリ)では地球を保護する目的が異なっているのが特徴である。グレタ・トゥーンベリさんに代表されるように、一般的に環境保護といえば、私達人間とそれに利する家畜や可愛い動物たちの繁栄を守るために行われるいわば仮言命法な活動である。それに対しヒープリの環境保護は、地球という存在それ自体の保護である。それは人間のためとか、動物のためといったものではなく、地球をあるべき理想の姿で居続けさせるための活動であり、この意味においてそれは定言命法な活動であると言えるだろう。

極端な言い方をすれば、前者の仮言命法的な活動は本質的に地球という存在を要求しない。なぜなら人類にとって繁栄を維持することのできる地球以外の環境があれば、その保護の対象が地球である必要は必ずしもないからである。しかしながら後者の定言命法的な活動は地球の存在を絶対的に要求する。それはこの活動は地球を維持することが目的であり、そこに住まう生物の利害などは関係がないからだ。

本記事ではこうしたヒープリの特徴的な「環境保護活動」についてストーリーをおさらいしながら整理する。またそうした活動の背景に潜む反出生主義的な思想についても論じていく。ふわあ~生きてるって感じ!
 
 

ストーリーと物語の展開

ヒーリングっど♥プリキュアの世界観を理解するにあたり、まずは公式サイトより作品情報を引用する。

地球を癒やし“お手当て”してきた
秘密の世界【ヒーリングガーデン】が、
地球をむしばみ 病気にしようとする
【ビョーゲンズ】の襲撃にあって
危機に陥ったため、地球が大ピンチに!

このピンチを救うため、
逃げのびた3人の“地球のお医者さん見習い”である
ヒーリングアニマルたちが、
“ヒーリングガーデンの王女”で
【特別なちから】を持ったラテとともに、
パートナーを探しにやって来た!

3人の普通の女の子が彼らと出会うことで
プリキュアに変身し、ビョーゲンズに立ち向かう!

ビョーゲンズの攻撃を察知して
元気をなくしてしまうラテや、
大切な地球、そしてここに生きる
全ての生命を守りたい気持ちを胸に
プリキュアたちは今、地球のお手当てのために力を合わせる

新たに誕生したラテのパートナーも加わり、
8人で一緒に、さあ、スタート!プリキュアオペレーション!¹

このように先に説明した通り、お手当をする対象は地球そのものであり、そこに住まう人間や動物は対象ではない(エレメントさんについては後述する)。従来、地球の「お手当」はヒーリングガーデンの(大人の)ヒーリングアニマル達が担っていたが、ビョーゲンズの襲撃に遭い、その遂行が難しい状況になっていた。そこで被害を免れた3匹の(子供の)ヒーリングアニマルとラテというヒーリングガーデンの女王の王女はそれぞれプリキュアの素質を持った女子中学生たちとパートナシップ協定を締結することでヒーリングガーデンの業務を彼女たちに委託した。無報酬の上で戦闘に従事させられるプリキュアになった女子中学生たちのやりがい搾取についてはこの際横に置いておく。彼女たちプリキュアはヒーリングアニマルたちと力を合わせ、地球を蝕むビョーゲンズたちと日々熱い戦いを繰り広げることになったのである。

では地球のお手当とは一体どのようなものなのだろうか。それを説明する前に「エレメント」について解説する。ヒープリの世界にはエレメントさんと呼ばれる「命のパワーみたいなもの」が存在している²。これは古代ギリシア哲学における万物の根源であるアルケーないしは、ショーペンハウアーの哲学における「生きようとする意志」といった存在であると理解してもらうと分かりやすいだろう。エレメントは現象界に属する人間には認識することができないが、プリキュアやヒーリングアニマル達には認識することができ、会話することも可能な存在である。ヒープリでは少なくとも17種類のエレメントが登場しており、それぞれ花・宝石・光・火・氷・太陽・風・音・雷・実り・泡・木・雨・水・葉っぱ・海・空気という属性が付与されている。つまり、花をして花たらしめているのは花のエレメントであり、火をして火たらしめているのは火のエレメントであるということだ。一方で、泡や音、風、実りといった現象に属するエレメントや、宝石や雨、氷のように人間の主観によって認識が左右される個物のエレメントや、太陽のように地球に属さないエレメントなどがおり、必ずしも古代ギリシア的な解釈が通用するというわけではないことに留意する必要がある。

一方で、地球を蝕むビョーゲンズたち(テラビョーゲン)はこのエレメントを襲い、その力を借りることでメガビョーゲンという怪物を生み出すことで効率的に地球を蝕むことを企んでいた。プリキュアたちによる「地球のお手当」とは、主にビョーゲンズによって生み出されたメガビョーゲンを浄化し、メガビョーゲンに取り込まれたエレメントさんを助け出すことを指している。メガビョーゲンが浄化されるとそれまで蝕まれていた地球も浄化されるため、プリキュアにとってメガビョーゲンの浄化は必須業務なのである。物語が進むにしたがってビョーゲンズはエレメントだけではなく、人間を依代にしたより強力な怪物(ギガビョーゲン)を生み出すことも可能になり、プリキュアたちとの戦いも激しさを増していくことになった。このようなプリキュアとビョーゲンズの戦いは38話でビョーゲンズの本拠地であるビョーゲンキングダムに特攻するまで毎話繰り広げられていた。

ところで地球を蝕むビョーゲンズの構成員であるテラビョーゲンは一様に人間のような姿をしており、人間同様に思考し言及している。ちなみにメガビョーゲンやギガビョーゲンはそこまでの知性は持っておらず、せいぜいテラビョーゲンの命令を聞くくらいである。これらの差異については漫画『BLEACH』におけるギリアン、アジューカス、ヴァストローデのようなものと理解すると良いだろう。彼らテラビョーゲンはなぜそのような実体を得るに至ったのだろうか。彼らの正体は名前から推察されるように病原体であり、細菌ないしはウイルスといった類の存在である。つまり彼らは人間を宿主にし、彼らの中で成長することによって原初的な存在から自我を持った存在へと進化したのである。実はキュアグレースこと花寺のどかも幼少の頃、テラビョーゲンの1人であるダルイゼンに寄生され、ダルイゼンが実体を獲得し、のどかの身体を抜け出す中学生の頃まで原因不明の病として床に伏していたという過去があった³。

さてそのような個人的にもビョーゲンズと因縁のあるプリキュアは物語の終盤でついにビョーゲンズの親玉であるキングビョーゲンと対峙する。キングビョーゲンはテラビョーゲンであるグアイワル⁴とダルイゼン⁵を取り込み、その力を自分のものとすることでネオキングビョーゲンへと進化を遂げた。病み上がりながら応援に駆け付けたヒーリングガーデンの女王であるテアティーヌや、大人のヒーリングアニマルの加勢も虚しくネオキングビョーゲンの力に圧倒され、プリキュアも彼に吸収され、ついに地球はネオキングビョーゲンの闇の力に覆いつくされてしまう。

ネオキングビョーゲンは「絶望するようなことでもなかろう。人間とて我らと変わらぬ。いや、地球上の生物はすべて万物が同じだ。いずれかの生命が蔓延れば別の生命が絶滅へと追いやられる。この世界はそのようにできているのだ。生きるということは戦うこと。戦いに勝った者だけが生きることを許される。その勝者が我ただ一人であったというだけだ」と勝利宣言をし⁶、もはや反撃のチャンスは残されていないかに見えた。

しかしのどかが「生きることは戦うこと。そうだね。あたしもそう思う。私は病気と闘ったから、今元気でいられる。(中略)私たちいつも何かと戦っている。戦いながら生きている。あなたの言う通り。だから私は戦い続ける。今までと同じ。ううん。今まで以上に戦い続ける。勝つためじゃない。負けないために。私がすこやかに生きるために。大好きな人たちがすこやかに生きられるように。他のすべてを見下して、虐げて、奪ってくるあなたみたいな存在のせいで悲しむ人が増えないように」と反論する⁷と、それに呼応する仲間や家族や周りの人たち、そして地球に住まう人間や家畜を除く動物(この描写は非常に重要なので後述する)たちの「生きたい」という思いが光の束となってネオキングビョーゲンに反撃する。

プリキュアはこのチャンスに乗じ、最終奥義であるプリキュアファイナルヒーリングっどシャワーを「私たちは生きることを、すこやかな未来をあきらめない!」というセリフと共にネオキングビョーゲンに向けて放ち、勝利した。ただしこの世界はあくまでヒーリングの善の力とビョーゲンの悪の力が飽くなき戦いを少なくとも地球が消滅するまで繰り返す善悪二元論的世界観である。ネオキングビョーゲンが浄化されたからといってこの世界から悪の力が消え去ったというわけではない。以上がヒーリングっどプリキュアの大まかなストーリーである。
 
 

ヒープリと反出生主義

 
ここからはヒーリングっどプリキュアにおける反出生主義的な描写について記述する。ありがたいことに(?)今作では人間の存在を否定するキャラクターが登場している。最終話でのどかたち3人の少女はヒーリングガーデンに招待される。彼女たちは子供のヒーリングアニマルには羨望のまなざしを向けられ、大人のヒーリングアニマルからは畏敬の念を表されるなどまさにヒーローとして万感の思いで訪問した。

しかしそんなヒーリングガーデンの中にただ一人、サルローというアビシニアコロブスの見た目をした年老いた重鎮のヒーリングアニマルがいた。彼はのどかたちを見るなり、「なぜ人間なんか連れ込んだんだ」と愚痴をこぼしている。理由を聞くのどかたちにサルローは「分からんか?人間などもはやビョーゲンズと変わらんからだ。自然を破壊し、動物の命を奪う。ある程度は生きるために必要なことだ。それが人間ってものの進化でもあるのだろう。だが限度ってものがある。ビョーゲンズだって進化の果てがキングビョーゲンだ。俺に言わせりゃヒーリングアニマルは人間だって浄化していくべきなんだ。この星のためにな」と述べ、ヒーリングアニマルの責務はあくまで地球をお手当することであり、そこに生きる存在がお手当を阻害するのであれば、場合によっては浄化することもやむを得ないと主張している。人間の行いは他の存在と異なり、サルローの考える限度を大きく逸脱しており、それは環境破壊や動物の殺害などに代表されると主張している。

また、こうした人間浄化容認論はヒーリングガーデンを統べるテアティーヌも持ち合わせており、サルローに対し「サルロー、あなたの言うこともわかるわ。私もいざという時が来たら人間を浄化する覚悟があります。でも人間に深く関わった者として言わせてもらうと人間には未来を変える力もあると信じたいの」と諭し、消極的な人間浄化容認論を支持していることが伺える。サルローやテアティーヌの思想は地球のために人間を存在させるべきではないという意味において広義の反出生主義であるといえるだろう。

実際にこのような地球環境を理由に子供を作らないことを決断した若者が「#No Future, No Children」というスローガンを掲げ、グレタさんというよりもヒーリングアニマル寄りな環境保護活動に励んでいる例もある⁸。ただしあくまでヒーリングアニマルの人間浄化容認論は地球のためであり、環境が悪化した地球に生まれてくる子供たちを憐れんでいるわけではないという点で両者の差異に留意する必要がある。また彼らは地球環境問題が改善すれば子供を作るかもしれず、反出生主義の主流からは外れていることにも注意する必要がある。

しかしながら人間の行いを巨視的に見るという観点からはヒーリングアニマルの人間浄化容認論も、実際の若者の環境保護活動の一環としての子作りの否定も同様の評価を下していることは興味深いといえるだろう。

また「命のパワーみたいなもの」と称されるエレメントさんに関しても植物のエレメントはいても、人間や動物に関するエレメントが存在していないことは興味深い。エレメントの種類から考えられる理想的な地球の姿とは太陽の光が降り注ぎ、風がそよぐ環境において時に厳しい天候に晒されながらも成長する草木が生い茂る3億年前の「石炭期」なのかもしれない。いずれにしても人間は要素としては全く考慮されておらず、少なくとも我々は「善の領域」に属しているわけではないことが示唆されている。ただし悪の領域に属しているわけでもないことから、人間がどちらの側に属するかは人間自身の行動次第であるという意味で道徳律に従って行動する人間の自由という可能性を地球が期待しているという解釈も可能といえる。

のどかはヒーリングガーデンを去る際、サルローに対し「サルローさん、私たち頑張ります。じゃあどうしたらいいとか今はまだわからないけど。それでも私たちにできる地球のお手当を考えていきます」と述べ、実質的にサルローと和解している。のどかのこの発言は、具体的な行動指針については含みを持たせながらも自律的に善に向かう人間の意志を象徴しているといってよいだろう。

人間の自由意志を認めながらも、それが著しく道徳律に反する行為であればそれ認めない(浄化する)というヒーリングガーデンの思想は、子供を作ることは自由だけれど、こんな欺瞞が蔓延る世界に私は子供を生まないという環境保護活動家の若者や反対にネットに巣食うペシミスティックな若者の広義の反出生主義と遠からず類似性が見られる。彼らもまた人生や世界が善いものであれば子供を作るように、人間という存在の否定・肯定はヒーリングガーデン同様に環境に左右されるのである。ヒーリングガーデンの思想は純粋な(?)反出生主義とは異なることを留意する必要はあるものの、このような広義の反出生主義は穏健的な反出生主義としてベネター的な反出生主義よりも受け入れられやすいという点から(反出生主義の啓蒙を考えている人にとっては)参考になるのではないだろうか。
 
 

ヒープリと種差別

 
さてここからはヒーリングっどプリキュアにおける反出生主義的思想に続いて、種差別的思想について簡単に述べていく。種差別とは人種差別ではなく、人間以外の種を差別する行為である。主に菜食主義者ヴィーガン)が肉食や毛皮の利用、動物実験などを行う人々を批判する際に用いられる用語である。ヒープリでは人間と同等の人格を持ったヒーリングアニマルが登場している。ハンス・ヨナスは人間の定義を像(イメージ)を描くことができることだとした。これを継承すればヒーリングアニマルは動物型の人間であるといえるだろう。面白いことにヒーリングアニマルにおいて種差別の象徴的な存在である家畜(豚・鶏・牛)がいないのである。プリキュアのパートナーであるラビリンはウサギ(ウサギ狩りや毛皮の利用なども人間の文化として存在しているが時代的に終焉を迎えたものや局所的な地域のみでの運用の場合が多いためここでは無視する)、ペギタンはペンギン(かつて油を利用するためペンギンを蒸す機械がオーストラリアなどで存在していたことは忘れない)、ニャトランは猫である。またヒーリングガーデンのヒーリングアニマルたちもライオン、トラ、オオカミ、熊、象、サイ、キリン、フラミンゴなどが確認されるが、豚・鶏・牛は見当たらないのである。ただし羊に似たヒーリングアニマルは後ろ姿から確認できるように思われるのでここでは、日本の庶民向けのスーパーの食肉コーナーにおける種差別と理解してもらうのがはやいだろう。

同様にネオキングビョーゲンを倒す際に、のどかの決意に「生きたい」と呼応した動物は人間の他にキビタキハシビロコウ、ウサギ、ゴリラ、リス(カワウソの可能性もある)、キリン、象、シロクマであった。こちらにも豚・鶏・牛はいないのである。この描写は良いとか悪いとかではなく単純に面白い。のどかは生きることは戦うことであるとし、これからも戦い続けることを選んだ。しかしネオキングビョーゲンの言う通りこの世界は戦いに勝ったものだけが生きることが許される世界である。のどかは「私がすこやかに生きるために。大好きな人たちがすこやかに生きられるように」することを目的に戦うことを選んでいる。つまりここでは共に戦う仲間が限定されており、その目的のために負けてしまう存在を暗に肯定している。

すこやかに生きるとは一体どういうことなのだろうか。すこやかの辞書的な意味は「からだが丈夫で元気なさま。心身が健全であるさま」である⁹。つまりすこやかに生きるとは、からだが丈夫で元気で、心身が健全な状態で生きるということである。これはよく寝て、よく遊び(働き)、よく食べ、よく笑うという行為を指しているように思われる。つまり、美味しいお肉を食べることも「よく食べ」の範疇であるということなのだろうか。のどかは肉食を示唆しているわけではない。しかしこの決意に家畜が呼応しなかったということは、のどかの思いを機敏に察知した家畜のそうした人間の思いのために犠牲になりたくないという思いの表れなのかもしれない。のどかはネオキングビョーゲンに対し「他のすべてを見下して、虐げて、奪ってくるあなたみたいな存在のせいで悲しむ人が増えないように」と戦い続ける理由を述べているが、家畜にとっては人間もまた見下し、虐げ、奪ってくる存在である。家畜に言わせれば「なにいってんだこいつ」と感じてしまうこともやぶさかではないだろう。家畜たちの呼応の拒否にヒープリにおける(完全菜食主義者以外の)人間の種差別が表現されているとしたらそれは後の時代から振り返った際のエポックメーキング的作品であると言えるのかもしれない。
 
 

ふわあ~生きてるって感じ!

 
(美味しいお肉を頬張って、ツイッターで何の生産性もないことをツイートして) ふわあ~生きてるって感じ!

おわり。
 
 
¹ 作品情報|ヒーリングっど♥プリキュア
www.toei-anim.co.jp
² アニメ第1話におけるヒーリングアニマルであるラビリンのセリフ。
³ アニメ第28話を参照のこと。のどかはダルイゼンによって再びテラビョーゲンの元となる物質を体内に埋め込まれ、何日か苦しんだ末、ケダリーというダルイゼンとそっくりなテラビョーゲンを生み出している。ケダリーはプリキュアによって浄化されるが、さながら処女懐胎、子殺しともいえる描写は視聴者の話題を呼んだ。
⁴ キングビョーゲンはヒーリングアニマルとの戦いによって実体を失っていたため、グアイワルは密かに謀反を起こそうとしていた。しかしキングビョーゲンは彼の計画を察知しており、グアイワルがキンググアイワルに進化し、さらにパワーアップしたところで彼を吸収し、自身の力に変えた。
⁵ グアイワルがキングビョーゲンに吸収された瞬間を目撃したダルイゼンは自身の運命に抗うため、再び宿主であったのどかの体内に寄生しようとしたが、グレースに拒絶されてしまう。のどかはダルイゼンを助けたくないという素直な思いと、プリキュアとしてのヒーロー像との狭間で葛藤していたが、相方のヒーリングアニマルであるラビリンの助言もあり、再び現れたダルイゼンを浄化しようとしたが、グアイワル同様、キングビョーゲンに吸収されてしまった。
⁶ アニメ第44話におけるネオキングビョーゲンのセリフ。
⁷ アニメ第44話における花寺のどかのセリフ。
⁸ John Bacon「No future, no children: Teens refusing to have kids until there's action on climate change」『USA TODAY』2019年9月19日。

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⁹ weblio辞書 すこ‐やか【健やか】
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