オージーポージー、フォードは愉快

―――なぜなら批判という行為によって、自尊感情が高まり、自分をより大きな存在だと感じることができるからだ。

自分だけは他とは違うと思っていたらどこかで他と同じであると気づかされる。それでもどこかまだその事実を認めたくない。ホールデン・コールフィールドはそんな人間にぴったりな鏡に写る自分だった。バーナード・マルクスもまた然り。バーナード・マルクスオルダス・ハクスリー著『すばらしい新世界』(1932)の登場人物である。西暦改め、フォードモーターの創業者を神とするフォード紀元となった世界で孵化・条件づけセンターで働くアルファ階級(上流階級)の小柄な男。高度に機械化、階級化された世界で人々は争いの起こらない変化の生じない世界を維持するためそれぞれが階級ごとに定められた仕事に従事しながら、ソーマと呼ばれる精神薬を飲み、フリーセックスに明け暮れる父も母も妻も夫も子供も家族も存在しない主観的には幸福な世界で人工子宮の胎児を管理しているその男は、あえて鬱屈した気分のままで居続けることを好み、ソーマの摂取を極力控えている。幼少期の睡眠教育で誰もが獲得する社会規範に対し穿った見方をする一方で、既存の社会体制そのものを破壊することまでは考えることは毛頭なく、あくまで保証された地位に胡座をかきながら体制に傷にならない傷をつける。この男は後に諸般の事情から更迭されてしまうのだが、ホールデン同様ひねくれ男の末路は案外そんなものである。

―――気でも狂ったように自分の子供たちを抱えこむ母親(自分の子供などというのがそもそもおかしい)……まるで子猫を抱えこむ母猫だ。言葉を話す猫だ。

そんなひねくれ男の一生はさておき、この世界の姿はなにかと現代社会と異なっている。先に人工子宮と述べたように、この世界では人々は階級に関わらず皆人工子宮から生まれる。そのため父親や母親といったものが存在しない。当然家族も存在しないので、この世界で生まれた子供たちは階級ごとに画一的な教育を受けることとなる。だから父親、母親といった言葉は卑猥な言葉であり、おぞましい存在に他ならない。母親と父親から生まれ、恋愛をし、一夫一妻制の元、赤ちゃんを生み(もちろんこれも卑猥な表現に他ならない)、妻や夫以外に手を出すことなく、禁止事項を守り、常に絶望的な孤独感を抱えている我々は彼らから言わせれば前近代人なのだ。とにかく我々の世界は常に闘争状態の只中にあるというわけだ。つまり我々の世界は安定性(スタビリティ)というものが根本的に欠けていた世界であった。一方で「偉大なるフォード様」を紀元とするこの世界では個人の安定が社会の安定をもたらし、社会の安定が文明をもたらすという信念の元、家族を解体し、あらゆる禁止事項を解放し、画一的な教育によって個々人の精神に平穏と安定をもたらした。文明という機械を止めないように。繁栄を謳歌できるように。

―――「しきたりには従え。ほら、“誰もがみんなのもの“じゃない」「そうね。“誰もがみんなのもの“」レーニナはゆっくり唱えてため息をつき、しばらく黙っていた。

そうした社会の安定性(スタビリティ)の根幹をなしていたのが睡眠教育と完全な階級社会の実現であった。予め遺伝子操作をされ、知能や見た目などによって各階級(全部で5つの階級に別れている)ごとに生み分けされた子供たちは大人になるまで睡眠学習を受けさせられる。その結果、人々はたとえ一番下の階級であっても自分の階級に疑問を持つことなく、突出した自意識は恥であり個はシステムの一部として認識され、至極現世的で、苦しみを人生のスパイスと思うことなく嫌なことがあれば即座にソーマを摂取するようになる。上から2番目のベータ(β)階級の人々は幼い頃からの睡眠教育と桃色お遊戯(子供たちの性的な遊び。この時代では微笑ましい光景とされている)のおかげで特定の異性と長期に渡って交際するようなことはなく、男女とも相手をとっかえひっかえしている。子供は人工子宮以外から生まれてくることはないので女性も妊娠の心配をすることなく遊びつくことができるというわけである。一方の底辺階級のエプシロン(ε)も人工子宮で育つ段階から血中の酸素濃度を低下させたりするなどしてわざと知能を低下させ、社会の安定性(スタビリティ)を維持する単純労働に疑問を持たないような作りにしているおかげで睡眠学習と相まって上の階級を羨むことも、社会体制に不満を持つこともない。彼らは終業時に貰えるソーマのために一生懸命に単純労働に日々取り組む。

―――「要するにきみは」とムスタファ・モンドは言った。「不幸になる権利を要求しているわけだ」

だがしかし、どんな世界、どんな社会にも馴染めない人間というものは必ずいるものである。最上位階級であるアルファ・プラスのバーナード・マルクスはアルファ・プラス階級でありながら人工子宮にいた頃の事故が原因で容姿がガンマ階級(背が低く、醜い)として生まれてきてしまったため周囲との違いから孤独感を感じていた。その反対に同じくアルファ・プラスのヘルムホルツ・ワトソンは優秀すぎるために孤独感を感じていた。彼らはひょんなことから野蛮人保存地区(未だにインディアン時代の暮らしをしている人々が住まう地区。彼らは現代に住まう我々同様、不倫は不道徳であり、一夫一婦が正しいことであると信じ、子供を"産み"、老い、病み、死んでいく)で生まれ育ち、文明世界へ連れてこられたジョン・サヴェッチ(避妊が失敗し妊娠したために地区に置き去りされた文明人の母を持つ聡明な少年)と友人になる。彼らは一時は孤独感を癒やし傷をなめ合うような仲になるが、それも束の間、反体制的な騒ぎを起こしたことを理由にバーナードとヘルムホルツの2人は辺境の地へと左遷されてしまう。神の存在を愛しく感じ、純潔を守り、必要であれば危険に身を晒し、苦労を厭わないことを好むジョンもすべてが快適で埋め尽くされている文明世界に馴染めず不幸を求め、自給自足の生活を目指し文明世界を後にする。

―――母親、一夫一妻制、恋愛。高々と噴き上がる噴水。泡立つ激しいほとばしり。衝動のはけ口はひとつだけ。わたしの赤ちゃん、わたしの赤ちゃん。憐れな前近代人が狂気と悲惨にまみれていたのも無理はない。彼らの世界はものごとを気楽に考え、正気を保ち、美徳と幸福を手にすることを許さなかった。

2021年は親ガチャという言葉が一般にも浸透するようになり、大手新聞社でも反出生主義をテーマにした記事が掲載されるようになるほど抗うことのできない自身の出生と覆すことの難しい格差という現実がより鮮明に見える形で顕になった。それを言っちゃあおしまいというこの世の仕組みはそれを言わなきゃ何を言うという勢力によって各所でネタバレが展開されるようになった。とはいうものの少子化とはいえまだまだ何十万の新たな親が回したガチャが続々と飛び出してくるこの世界の仕組みは何一つ変化しておらず、本気でこの世界を憎んでいる人々はまだまだ少数である。ツイッター上で反出生主義を掲げるユーザーもちらほら見かけるものの依然としてその数は多いとはいえないだろう。彼らの苦しみはつまるところこの世界の仕組みにほかならず、出自とそれを原因とした自身の現状にある。その苦しみを反出生主義という形に昇華しても多くの人々にはピンとこない。大多数の人々にとって(許容できるレベルの)苦しみは人生のスパイスだし、お父さん、お母さんは愛する対象だし、そんなお父さん、お母さんに自分もなりたいのである。だから一向にこの世界はすばらしい新世界にならない。スタートラインがバラバラなのに同じゴールを目指そうとする。それ故に苦しみが生じる。せめてスタートラインを同じにするかそれが無理ならスタートラインがバラバラであることに疑問を持たないような別々のゴールを用意してくれたら。しかしそんな淡い願望は泡と消えてしまう。なぜならこの世界はお父さんとお母さんがいる。お父さんとお母さんになろうとする。子供を欲しいと感じてしまう。特定の人間だけを殊更に愛してしまう。安定より成長を求めている。身分制度が存在しない。職業選択の自由がある。自分を一番だと思ってしまう。苦しみを成長のために受忍してしまう。性的な行為は恥ずかしいものであると思う。不倫をまさに文字通り不道徳であると感じてしまう。神様を信じている。そんな野蛮人保存地区にほかならないからだ。

―――「"ああ、すばらしい新世界、こういう人たちがいるとは!"。すぐ出発しましょう」

ああ、桃色お遊戯のインストラクターになりたかった。

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