我が名はバルバロイ

普段ツイッターでは政治的なツイートは厳に控えている。そもそも国内政治にまったく興味がないので特にこれといってツイートすることもないのだが、日常生活を送る上で政治・宗教・スポーツ(野球)の話題において対立を煽るような発言を慎むようにツイッター歴も長くなると同様の現象が見られるような気がする。尤も国家の存続を端から前提としない反出生主義という右派からも左派からも敵とみなされるような稀有な思想を有している以上、どの政党にもなんら共感や一種の帰属意識を持つことがないため、対立を煽るという立場にすら立ちようがないのだが。そんなわけで自分がなにか政治的な意見を表明する際には国民国家の成員という立場というよりも、悪く言えば穢多非人のような立場から、良く言えば仙人のような立場から表明することだろう。


さて前口上はこの程度にしてここ最近は国のトップ交代を機に、候補者の少子化対策の政策がにわかに注目を集めているように感じる。どうやら少子化対策は国のトップを新たに決める上でも重要な国民の関心事ということらしい。とはいえこの国では党のトップが自動的に国のトップになるので国民の関心事をあえて語る必要は本来ないのだがそこは民主国家といったところか。あるいは昨年の出生数が1899年の統計開始以来初の90万人を割れ、86万5234人となり、国としてもいよいよ少子化対策に本腰を入れねばならない状況に否が応でも追い込まれたことで踏み込んだ観測気球が2つないし3つ打ち上げられたといったところなのだろうか。


打ち上げられた3つ気球の中身はそれぞれ、不妊治療の保険適用、出産費用のゼロ化、第三子の児童手当の月6万円である。ではひとつひとつ詳細を見ていくことにしよう。


まずは不妊治療の保険適用である。不妊治療の保険適用は長らくその当事者から切に望まれてきたことだった。不妊治療の平均額は一説には200万円にも上るが、それで子供の誕生が確約されてるわけではない。日本産科婦人科学会の資料によると、2017年に全国で約44万件の生殖補助医療が行われ、この内無事に出産することができたのは約5万2千件であったという。200万円という大金を賭けても出産に到れるのは11%足らず。おまけに自由診療という性格上、クリニックによって治療費や治療方針、成績などが大きく異なり、当事者の悩みが尽きることはなかった。だからこそ不妊治療の保険適用は子供を望む夫婦にとって悲願だったに違いない。一方で保険適用に現実味が帯びてきたことで反対意見も積極的に見受けられるようになった。まずは前述の通り、成功率があまりにも低いことにある。費用対効果が薄いのではないかという至極全うな指摘だ。例えば不妊治療の平均費用を200万円、出産率を13%、自己負担率を3割とすると子供を1人生み出すためにの国の支出は1080万円となる。これを安いと見るか高いと見るかは当人のスケールによるが個人的にはバカ高いというほどではないように感じる。また費用対効果に加え、児童福祉施設で暮らしている子供たちの里親委託率や特別養子縁組の成立件数の低さなど、これから生まれる子供たちより今いる子供たちをより支援するべきだといった指摘なども見受けられる。ただ成功率や費用対効果といった指摘に関しては、その他の高度医療や終末期医療についても同様のことが言えるし、恵まれない子供たちへの支援と不妊治療の保険適用については二者択一ではなく両輪で支援を拡充することも可能である以上、クリティカルな反駁とも言えないところがある。重要なのは次期のトップになる可能性が一番高い人間が不妊治療に保険適用するとほとんど明言したことにある。それだけ少子化問題は喫緊の課題ということなのだろう。


次は出産費用ゼロ化である。実は出産は病気や怪我ではないので保険適用の範囲外なのである。帝王切開は計画して行われるもの、緊急に行われるもの問わず保険適用だが、自然分娩と異なり入院期間が長くなるため、最終的にはどちらも同じ程度の金額(40万円~100万円)がかかってしまうのである。もちろん出産一時金(42万円)や高額療養費制度、医療費控除などの制度によって出産費用をの一部を賄うことができるが、相応の自己負担が求められるのが現実である。また、出産に至るまでの妊婦健診なども全自治体で補助が受けられるものの、様々な場面で費用負担が発生するのが実情だ。当然、生まれた後の育児費用や教育費用なども別途必要になることは言うまでもない。こうしてみると不妊治療と比べ、妊娠から出産に係わる一連の流れに対し各セクションにおいて相応の公的支援がなされており、出産費用ゼロ化は不妊治療の保険適用と比べると驚きが薄いように感じる。裏を返せば特に新たな支出をすることなく、やってやったぞ感あふれる政策を実現することができるといってもよいだろう。しかしながら真に少子化の対策となりうるかについては疑問符がついてしまうのも事実だ。出産費用ではなく、教育費を理由に子供を作ることを躊躇してしまう夫婦の方が多い以上、出産費用ゼロ化の実効性は期待できそうにないだろう。


最後に第三子の児童手当の月6万円である。この案は少子化対策を司るセクションの長の口から出た案という前述の2案とは別の文脈から出現した案だが、なんとも現金な観測気球であるといえるだろう。現在中学生以下の子供1人あたり、月1万~1万5千円支給されている児童手当を第二子に3万円、第三子以降に6万円というのだからこれは人参をぶら下げられた馬というほかない。月1万程度は食費の足しにすらならないが、月6万円ともなると食費に加え、習い事や高校や大学の進学費ともなりうる。事実、3人以上子供がいる夫婦より、1人または2人でとどまっている夫婦が多いことからも人参に目がくらみそうな馬が多くいるところに人参をぶら下げんとするこの案は実に少子化対策の実効性の面で出産費用ゼロ化より圧倒的に期待できそうではある。厚生労働省国民生活基礎調査によると2019年の児童のいる世帯の平均児童数は1.68人とこちらも1986年の統計開始以来の低水準となっている。つまり子供がいる現役ファミリー世帯ですら、一人っ子の割合が最も高く(46.5%)、続いて二人っ子(40.0%)が続き、3人以上子供がいる家庭は少数(12.9%)となっており、統計的にも人参目当てに走ってくれることが期待できるのは明らかなのだ。しかしながら人間と馬は違う。月6万もらえるからといってはい作りますと首を縦に振る夫婦はどれほどいるだろうか。


ところで知的な読者諸君はもうお気づきだろうと思うが、第三子の児童手当総支給額(6万円×12ヶ月×15年)と不妊治療によって子供1人を生み出すための支出(200万円÷13%×7割)は同じ1080万円なのである。


偶然といっては出来すぎなくらいだが、国としても無尽蔵に予算を投じることはできないので、このあたりが現実的なラインといったところなのだろう。トップが交替し、少子化対策がより前進することで今後の出生率および出生数にプラスの影響を与えるかどうか。今後の少子化界隈にはますます目が離せそうにない。


さて、ここからは完全な妄想だ。


言いたいことはこうだ。同じ1080万円を投じても、前者と後者では生む主体が異なるのではないかということだ。つまり前者では既に子供が2人いて、月6万円につられて簡単に3人目を生むことができる生体を互いに持つ比較的若い夫婦。つまり、ルーラルなエリアを拠点とし、両親も近くに住んでおり、車を複数台所有し、エグザイルを好み、買い物は主に近隣の巨大ショッピングモールないしはバイパス沿いに立ち並ぶ大型のチェーン店を利用するいわゆるマイルドヤンキー夫婦が主たる構成員なのではないだろうか。一方で後者は生まれ育った土地や大学などではなく、社内やマッチングアプリ、婚活などで出会い結婚し、アーバンなエリアに住まい、車はカーシェアリング、食料品は平日はまいばすけっと、休日はクイーンズ伊勢丹、両親は遠方で暮らしている、そんなDINKsと呼ばれるような収入も年齢もミドルハイな夫婦が代表格なのではないだろうか。


何が言いたいかもうおわかりだろう。同じ額を投じ、同じ人間を作るのであっても政治家の恣意的なさじ加減によって全く異なるタイプの人間が生まれてくるということだ。もちろん生まれた瞬間にどのような人間に成長するか決定されるわけではない。肝心なのはどういった親に育てられるかだ。前述の親の違い、これはさながらスパルタとアテネほどの違いである。マイルドヤンキーのスパルタ。都会の核家族アテネ。両者の相容れぬ性質はやがて争いを引き起こす。しかしペロポネソス戦争に勝利したマイルドヤンキーの栄華もその後長く続いたわけではない。


アテネとスパルタ、読者諸君はどちらに生まれたいだろうか。しかし生まれたくても生まれないし、生まれたくなくても生まれさせられてしまう。これが生命の宿命、加害の雛形である。願わくば無でい続けたい。しかし無に願望はない。やがてこの国の命運はスパルタの童かアテネの童に託されることになる。刹那の安寧は破られた。産道を通り抜けるその時まで。




参考資料

(ART) 妊娠率・ 産率・流産率 2017(pdf直リン)
https://plaza.umin.ac.jp/~jsog-art/2017data_20191015.pdf

2019年 国民生活基礎調査の概況
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa19/index.html