第12次子供代理戦争―中学受験―

2月といえば東京都内の私立中学校の中学受験の日である。多くの学校が2月1日に1回目の受験日を設定しており、1日はほとんどの受験生にとってそれぞれの本命校の受験日なのである。この日はいつもより早く起き、受験会場へ向かう。学校の入口には名だたる中学受験塾ののぼりがたなびき、親と子供、そして通っている塾の関係者の白く熱い吐息が凍てつく2月の東京であることを忘れさせる。競争社会の前哨戦は火蓋を切られ、"N"のマークの青いリュックサックを背負った小さな戦士たちは戦場である校舎へとまた1人、また1人と消えていく。そして兵站としての受験生の保護者の存在も忘れてはいけない。彼らもまた、我が子の本命校合格のため、この日まで日々の送迎やお弁当などサポートの限りを尽くしてきたのである。もちろん一番のサポートが経済的支援であることは言うまでもない。


そんな黒子として保護者たちの中学受験へ賭ける熱い思いや持論などは、ツイッターやブログなどインターネッツの至るところで遭遇することが可能だ。ある中卒の父親は自身の半生を振り返り、娘には自分のような思いはさせまいと「人生のしくみ」なる選択肢が一つしかないフローチャートを作り、遊ぶことを我慢し、中学受験を頑張ることがいかにその後の人生を良きものにするか娘に説いた¹。またある建築家の父親は学習塾の請求書を見せることで如何に貴殿に対し資本が投下されているかを息子に説いた²。またあるシステムエンジニアの父親は娘の学習塾の費用を捻出するために家を売却した³。そんな我が子の教育に必死な親たちを、彼らの苦労や心配事を知らないインターネッツユーザーたちは、やれ人生はそんな思い通りにいかないだの、請求書を見せつけて何がしたいのだの、塾の費用も捻出できないで学費が捻出できるわけがないだの好き勝手物申し、中学受験というコンテンツを消費している。


いったい中学受験に必死なって臨む親たちはなぜそこまで必死になっているのだろうか。中高一貫校は大学の付属校でもない限り大学受験が待っている。高校受験がないことによる中だるみというデメリットをおしてまで中学受験をするというのはどういうことなのだろうか。そもそも我が子の学歴に固執するのであれば既に小学校の段階で公立ではなく、私立の附属小学校に通わせているはずである。しかし基本的にいわゆるお受験と呼ばれる小学校受験をしない子供の親は、彼らの代で大学進学を機に上京してきたケースが多く、当然OB・OGではないのでお受験のコネクションもなければ、お受験があることすら知らないケースが多い(当社調べ)のである。一方で生まれた地でマイルドヤンキーになることなく、都会にやってきた彼らだけに教育に関心がないわけではまったくない。そのため小学校も学年が上がり、中学校進学が見えてくると、クラス内で塾に通っているお友達や、学区内の公立中学校に関するママ友の噂、自身の田舎の中学校の苦い記憶、プレジデントFamilyなどから摂取する情報などが自然と彼らを中学受験へと向かわせるのである。


だがこういった教育熱心な親のプロファイリングなど特に意味などない。重要なのは親の我が子に対する「特別な思い」である。極端な話、同じクラスのよその子がテストで0点を取ろうが、100点を取ろうが、下校途中にわいせつ被害に遭おうが、交通事故に遭おうが親にとってはそんなことは知ったことではない。定型文と化した「〇〇くんは100点なのに」という文言の視点は〇〇くんではなく、常に我が子に向いているし、クラスの子が犯罪被害に遭ったことを聞いて心配になるのは、その子に同情しているわけでもなんでもなく、次に我が子に被害が及ばないか心配しているにすぎない。つまるところこの全て同じ種族でありながら、我が子というだけで特別な感情を持ってしまう動物的な所作が教育という分野に顕現したのが中学受験なのである。


そしてこの特別な感情というものは当事者間ではいわゆる愛情といった言葉で表現されるような代物だが、その特別な感情同士がぶつかり合う局面では、それはただの争いの火種に成り下がる。中学受験しかり全ての争いは勝者がいて、敗者がいてはじめて成り立つことができる。特別な感情を抱く我が子の合格を切望することは同時に、他の子供の不合格を切望することでもある。しかしその他の子供にも当然同じようにその子供に特別な感情を抱いた親が存在している。この状態は争いの決着をつけることによってのみ解決する代物であり、我が子に対する特別な感情を他の子供にも抱くことによって解決されるものでは決してない。特別な感情と特別な感情の相克は争いによってのみ成立する。


単細胞生物から進化し、自他境界の曖昧さから抜け出した生物が獲得した愛情が争いの原因になっているという皮肉な現実。仮に全ての人間が全ての人間に対し、初めて入店したコンビニの店員さんに対する感情のそれしか抱かなかったとしたら。子供を利用した代理戦争よりも感情を持たない細胞同士の億単位、兆単位の争いのほうがよほど清々しかった。




¹ 桜井信一,(2014),『下剋上受験-両親は中卒 それでも娘は最難関中学を目指した!』産経新聞出版,p.86
² 


³ choconta.hatenablog.com