かつ子さんとヨシ子さん

中二病は男だけ罹患するかと思ったらそうでもない。男女とも等しく感染するものだ。男子校に通う生徒の中二病といえば特殊な性癖がカッコイイといったあたりが代表格だろう。ロリコンであることがカッコイイ、グロ、リョナで抜く俺異端などなど。中二病の痛さはスパイスのようなものでどこか可愛げがある一方で大二病の痛さはなんとも痛々しい場合が多い。大二病、いわゆる意識高い系ともいわれるこの属性はあらゆるベクトルの意識の高さを総称したものだが、その代表格となるのが西欧かぶれと呼ばれるようなものだ。個人的には「ドメスティックな帰国子女」と名付けたくなる。そしてその属性は文学作品の登場人物にも付与されている。

少し前に流行った吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』。漫画を読んだ人はいても原書を読んだ人はどれぐらいだろうか。実は漫画版では登場していない「ドメスティックな帰国子女」が一人いる。主人公の友人、水谷くんのお姉さん、かつ子さんだ。彼女が登場するシーンの前にはこんな出来事があった。水谷くんらが年上の先輩と口論になっている現場に居合わせておきながらそれに加勢せず、ビビって一人敗走してしまった主人公、コペル君は自らの行いをひどく後悔し熱を出して寝込んでしまった。一連の事情を聞いたコペル君の叔父さん(ニート)はコペル君を叱りお詫びの手紙を書くよう助言する。そしてコペル君は水谷くんら友達3人へ向け手紙を書くこととなった。するとその手紙にかつ子さんも目を通したことから彼女は以下のような返事をコペル君に送った。

コペルさん。ご病気はいかがですか。(中略)正直にいいますと、私、あなたがあのときみんなといっしょにならなかったと聞いて、最初はかなりふんがいいたしました。あれほどお約束したのにと思いました。しかし、あのお手紙を読んだとき、私は、もうそんなことを考えませんでした。私、読みながら涙が出てき来ました。

程よい臭さと意識の高さが頭をよぎる。自分が世界の中心にいると思って疑わない態度でない限りこのような文書は到底書けたものではない。しかしかつ子節はこれだけにとどまらない。彼女のドメスティックな帰国子女感はコペル君たちの前でナポレオンを語るときにその真髄を発揮したのだった。以下はコペル君たちが水谷くんの家へ新年のあいさつへ出向いた際にナポレオンについて熱く語るかつ子さんのセリフである。

「まあ、失礼ね。あたし、いま英雄的精神について話してたのよ。」
「むずかしかないわ。あたし、男だって、女だって、英雄的精神をもたなくっちゃいけないと思うの。」
「それに、人間は誰だって命が惜しいわ。(中略)だけど人間は、英雄的精神に燃えれば、そのこわさを忘れてしまえるんだわ。どんなに苦しいことでも乗り越えてゆく勇気がわいて、惜しい命さえ惜しくなくなってしまうんだわ。あたし、それが第一すばらしいことだと思うの。人間が人間以上になることだもの———」
「人間が、ある場合には、どんなこわいことも、苦しいことも、勇ましく乗り越えてゆけるもんだと思うと、あたし、なんともいえない感じがするわ。(中略)あたし、つくづくそう思うの、―――こういう精神に貫かれて死んでゆく方が、のらくらと生きているより、ずっと、ずっと立派なことだと。負けたって、こういう精神に貫かれていれば、負けじゃないわ。勝ったって、この精神がなくなってれば、本当の勝とはいえないわ。」
「ああ、あたし、一生に一度でもいいわ、身を切られるような思いをして、この精神を味わって見たい!」

これをドメスティックな帰国子女、ドメ女といわずしてなんと形容したらよいのだろうか。しかしながらこの本を読んでいた1937年、当時中学生前後の子供たちはその数年後、学徒出陣の命を受けることとなる。皮肉にも「君たちはどう生きるか」ではなく「君たちはどう死ぬか」いや死に方さえも選択することなく特攻や餓死していった皇軍的精神をかつ子さんは戦後どう振り返るつもりなのか。その頃にはある程度ドメ女病も寛解し、自身の言動を赤面しながら懐かしむかもしれないが、一緒に懐かしむはずだった弟もコペル君もどこかの島で骨になってしまったのだった。

さて時は下り1954年、時代は高度経済成長真っ只中。朝鮮戦争特需に沸き、もはや戦後ではなくなった頃、かつて温泉街で栄えた貧しい北国の町から戦後のかつ子さんが現れる。といってもこちらもフィクションで安部公房著『飢餓同盟』から主人公の盟友の姉というかつ子さんと同様のポジションからドメ女を謳う狭山ヨシ子のお話だ。飢餓同盟は温泉がストップしてしまった古びた町を再興するために立ち上がった鼻つまみ者たちの同盟、飢餓同盟が奮闘する物語である。ヒロポン常習者の主人公、花井は町の有力者が運営するキャラメル工場の主任を務めながらルサンチマンに燃えていた。彼は自殺のためにこの町に帰ってきたヴァイオリン弾きの地下探査技師と求人に騙されて町にやってきた人形芝居屋、医師、そして工場の部下たちと同盟を結成する。彼らは地下探査技師織木の力を借り、地下の水脈を見つけ出し温泉を復活させ、地熱発電所を建設、そして電気を貨幣単位にするという革命を目指した。しかしながら情報は町の政治家、有力者に筒抜け。手柄は横取りされ、挙句の果てに花井は精神分裂症患者として保護されてしまったという何とも鼻つまみ者らしい顛末である。

狭山ヨシ子はそんな主人公の盟友の姉であるが、閉鎖的な町に辟易しており都会に出たいという夢を持っていた。ある時、織木のヴァイオリンであることを知らずにヴァイオリンを買ったので教えてほしいと織木に手紙を送った。その手紙の内容は次のようなものだ。

『弟から、あなたのことは、うかがいました。ひどいわ、あなたのようなセンスのある方が、あんな人形芝居屋なんかに、こき使われているだなんて。私には、まるで、天使が犬みたいに首輪をつけられて、悪魔に引きずられて歩いているように見えました。ああ、私も本当に孤独なの。いつか、二人して、美や、真理について、心ゆくまで話し合いたいわね。(中略)こんな生活は、もううんざり。日本人って、だいたい、ロマンチックなセンスに欠けているでしょ。くやしいから、ときどき、誰もいない雪の中で、自殺してやろうかと思ったりすることがありますの。私たち、意気投合しちゃうんじゃないかしら。ええと、なにか、もっと書きたいことがあったはずなんだけど、いまはうまく書けないわ。どうぞ、今後ともよろしく、御指導下さいませ。(この手紙、これでも、四時間もかかりましたのよ。)・・・・・・かしこ』

なんということだ。ドメ女定番の巨大主語、「日本人」がバッチリ登場している。ちなみに「日本人」主語のセリフは他の箇所でも見ることができる。狭山ヨシ子が所属する政治的意図をもった町内の市民団体、「読書会」の定例集会でのセリフだ。

「よしてよ、そんな政治の話なんかしないでよ。ここは読書会なのよ。芸術の話をする会じゃないの。・・・・・・だから、日本人て、駄目なのよ。」
・・・・・・くだらない、と彼女は心の中でつぶやいていた。なんて退屈な田舎なんだろう。どうせ私は日本人には理解されないんだ。外国人に生まれてくればよかったんだわ。じっさい私の足は、日本人ばなれしてるじゃないの。もしかしたら、祖先のどこかに、外国人の血がまじってるかもしれないんだわ。

素晴らしい。ドメ女の模範となるような、プロトタイプのような存在である。惚れ惚れする。そう、意識の高さはだれしも通る道。戦前にも戦後にも見られるものなら今の世にも見受けられて当然だ。飢餓同盟のおわりに、「正気も、狂気も、いずれ魂の属性にしかすぎないのである。」と同盟の一員だった医師(これは安部公房自身をモデルにしているのではないか?)は心の中で思う。意識高い系も魂の属性にしかすぎない。つまりどんなに突飛なことをやってみせようが女子小学生で抜こうが、オンラインサロンに入会しようが、起業しようが、ユーチューバーになろうが、なにをしようが人間の枠から一歩たりともはみ出てはいない。君は君以外の何物でもないしただの凡人だ。あきらめよう。そして諦念のスタートラインに立った時、見えてくるものがあるはずだ。

だからこそ
相思相愛イチャラブセックス。

おわり。