凱旋

男子校に6年間通っていた。若干の通学ルートの変更はあれど優に片道1000回は歩いてきた道がある。月曜日から土曜日まで晴れの日も雨の日も雪の日も眠い目を擦りながらひとり登校していた。最寄りのバス停から学校までの決まったルートに1000体の自分の残像が重なっている。

先日その地に再び舞い戻った。昔と変わらぬ道のり。しかし傍らには彼女がいた。恋人つなぎをしている手に残像が触れると霞となって消えていく。1体また1体と残像が消えやがて賑やかな校舎が姿を現す。この日は年に一度の学園祭の日だった。かつての父兄と小学生の受験生男児とそのお母さんしかいなかった学園祭は鳴りを潜め、近隣の女子高生のグループが目立つほどにはなんらかの意味において成長した母校の学園祭を見学する。

多少女子高生が増えたところで中身は一緒だ。ナンパをするほど度胸のある生徒や彼女持ちの生徒など存在しない。一通り展示をまわり校庭の入り口に座り込んでいる野球部と思しき生徒たちの横を通り過ぎる。僕らの定位置は左に彼女、そして恋人つなぎが基本だ。彼らの視線は僕のやや左側を向いている。彼らのすこしぽかんと開いた口と彼女を見上げる頭の動きをしかと見届けると長きに渡る戦いを経て終戦を味わう兵士のように穏やかな感情がゆるやかに溢れる。

そんな終戦の余韻に浸りつつ校舎を後にする。放課後デートはカフェとアパレルショップ巡りを挟んでホテルでひとやすみ。戦いの疲れを癒してあやしてくれる。戦の最中、大腸に矢を受けてしまった自分にこれくらいの僥倖があっても悪くはないだろう。あるいは僥倖があるからこそ矢を受けてしまったのかそのどちらでもないのか。

相変わらず僥倖に対する仕打ちを望む思想から脱却できていない。しかしお義父さんに刺されることもなく殴る蹴るの暴行を受けることもなかったしお義母さんは鼻歌を歌いながら上機嫌ですき焼きを振舞ってくれる。

先日注文していたハンドメイドのチタンリングを受け取りに行った。高温で熱せられると浮かび上がる被膜が美しい。気づけば円環の契りを互いの左手薬指にはめるステージまでやってきた。

さてそろそろやることがなくなってきた。とはいえ人生に満足して自殺した須原一秀という無名の哲学者が著した『自死という生き方』という買ったばかりの本を飛行機に置き忘れてきてしまったほどなのでまだそれを実行するほどの勇気はないのだろう。まあ明日搭乗する飛行機が墜落するかもしれないが。