できない理由を考えるのではなく

議会制民主主義における普通選挙を積極的に肯定する者たちがよく口にする「若者が選挙に行かないから若者が冷遇され、高齢者が優遇される」といった類の言説がまことしやかに信じられている今日この頃。そもそも選挙の埒外にいるとされるペドフィリアたちが見ている景色は如何なるものか。だがいきなりペドフィリアの視界にお邪魔するのも重苦しいのでここは代わりに前述の言説についてなんの根拠もデータもない感想をつらつらと書いていくことにする。

そもそも若者って誰?冷遇ってなに?というところなのだがとりあえず「若者」を"18歳から35歳くらいまでの進学、就職、結婚、子育てという人生の極みみたいな経験を連続的に行う(行わない人もいる)世代"ということにして、「冷遇」を他の世代よりもその世代を政策ないしは政策の影響を以てして明示的ではないにせよ暗に蔑ろにしている(同じ世代間で扱いが違うことは冷遇とは呼ばない)ということにする。

まず若者は本当に冷遇されているのだろうか?例えば雇用。各種統計をちらっと見てみても若者だけ非正規雇用が増えているわけではない。税金も若者だけに特別に課されている税金があるわけではない。逆に介護保険を払わなくていい分優遇されていると言えなくもない。一方で貰えるほうのお金に目を向けてみる。若者、特に子供がいる世帯の手当は幼児教育、高等教育の無償化から児童手当など思いの外充実している。出産に係る一時金が少ないなどという声もあるが児童手当は時代を経るごとに増額、対象年齢も拡大している。障害年金も年金を支払っていれば若者だって受け取れる。

あれ、本当に若者は冷遇されているのだろうか。本当に冷遇されているのは団塊ジュニアだったりするのではないか。団塊ジュニア団塊の世代の次に人口、投票数が多い世代だが何か特別に手厚い支援があるわけではない。とはいえその世代だけが差別されている政策があるわけでもないので冷遇されているというわけでもない。では高齢者は厚遇されているのか?たしかに高齢者は医療費が1割ないしは2割負担だったりする。これは厚遇といえるだろう。年金に関してはどのように捉えるべき代物なのかよくわからないがお上の制度に従って緩やかなインフレと共に現役時代に納付してきた人たちがリタイアして一定の金額を受け取れるという仕組み以上でも以下でもないのでなんとも言えない。尤も年金は積立てではなく今の現役世代の納付がそのまま今の高齢者にスライドしているだけなのでこのまま国家の成長が停滞する以上は今の現役世代が相対的に損をするのは目に見えている。

じゃあ結局時代なのか。ガチャなのか、何ガチャだ、時代ガチャなのか。バブルを謳歌することは叶わなかったが鎌倉時代じゃなかっただけマシということなのか。あとはいつも、お決まりの、十八番の親ガチャなのか。つまり「冷遇!冷遇!」という人たちは格差を冷遇と履き違えているのか?「他の世代よりもその世代を政策を以てして明示的ではないにせよ暗に蔑ろにしている」のが冷遇ならば、政策の如何に関わらず個人間で差異があることは冷遇ではない。それは格差である。各種メディアが「奨学金に苦しむ若者たち~」といったところで幼稚舎からエスカレーターでモテまくり勝ちまくりの若者いれば地方から上京して適当な私文に通いながら仕送りゼロで居酒屋バイトをしていたところコロナで仕事がなくなって大変みたいな若者もいる。これは冷遇ではなく格差だろう。そういうのが各世代ごとに積み重なっているだけなのか。

それならばと、格差を是正し円滑な再生産を促すことは正しいことであり、それが(一部の)政治の役割であるという認識でいいのか?とはいえこの社会で個人の資産を別の個人ないしは法人に移転することは統一教会なり宗教の力でも借りないと難しい。だから一律的な徴税と分配によってなんとかその歯車がうまく回るように頑張る(誰が?)のだが、その徴税と分配とが人によっては若者冷遇に見えたり、高齢者優遇に見えたりするというのが実情、実態といったところなのか。自分の生活を良くしたい、してほしいという動機から熱心に演説を聞き、拍手を贈り、票を投じるも特に何も変わらなかった人もいれば、別に選挙とか行かなくても何不自由なく人生を謳歌できる人もいるということで、なんとも世代という大きい主語で括ることの無意味さを痛感する。

大きい主語といえばペドフィリアも比較的大きい主語だ。さあ、全政党、全候補者の政策、マニフェストが何一つ自分に関係がないペドフィリアという人種の話に話題が戻ってきた。議会制民主主義という漸進的に決まりごとが増え続ける社会にこれ以上何の決まりごとを増やそうとでも言うのだろうか。法定強姦としての強制性交罪、監護者性交罪、青少年健全育成条例、児童買春・児童ポルノ禁止法の手枷足枷を嵌められた者たちに投票所から選ばれる未来など存在しない。彼らの見ている景色、それはやりたいことは法を犯して倫理を超克して裸一貫、己の力で成すしかなくなった世界である。何にビビっている?やりたいようにやれ。さて、陰謀論者からも悪魔扱いされる全人類の敵、表現規制以前に既に規制されているアナーキズムの申し子、リバタリアニズムの雄。時代は刻一刻と変化している。昨日の常識は今日の非常識。ペドフィリアが社会の埒外に置かれるの先か、選挙が社会の埒外に置かれるのが先か。多くの善良の市民なら前者を強く望むところだろうが案外そっちのほうが大変なのかもしれない。ビッグブラザーをとるか、ウォーボーイズをとるか。いや違うか。

山上に捧げる。