1人で鮨より2人で目刺しの時代

幸せはカネで買えない。
それは今僕自身もひしひしと感じている。

毎週のように美味い握りをカウンターで1人食っているが刹那的な悦びしか感じられない。毎月先物取引で大きな利益を確定させてももはや何も感じない。そんなことより彼女と貧しいながらも半額の目刺しを食べるほうが絶対に幸せだろう。人間はどんなに金があっても動詞以外のことはできない。車を買っても家に住んでも時計を着けても服を着飾っても、乗る、住む、着ける、着る。これだけだ。貧乏人でも大金持ちでも形容詞の差しか生まれない。高いか安いかデカイか小さいかそれだけだ。しかし「愛す」という動詞に貴賎はない。全くない。そしてかくも残酷な動詞もない。

眞子さまが婚約を発表された。お相手はICUの同級生だという。メディアではUFJ勤務後、現在は法律事務所で働いてると報じているが、よく考えてほしい。司法試験も合格していないのだからただの見習いフリーターである。年収なんて雀の涙ほどだろう。そう年収など関係ないのである。しかしそんなことはなんの問題もない。そこにはただ純然たる愛があればいいのだから。ああなんと残酷だろう。お相手に求める条件に固執し気がつけばアラサーアラフォー婚活男女はこのニュースをどう感じたのだろうか。

僕は今年あたりに初婚年齢はピークをつけ、晩婚化から180°舵を切り早婚化が始まると予想している。若者が続々と結婚しだすだろう。スマホがあれば特に必要なものはない時代、さらに物質主義からの決別を象徴付けるもの、それは結婚。取り残されたのは団塊ジュニアと私たち陰キャ若者。有り余るお金に意味がなくなればリシャール・ミルをつけてタリアトーレのジャケットを着てフェラーリに乗っても見向きもされない。人間的な価値がないから。そうなるともはやモテない男が金の力で挽回するのは不可能だ。1人で美味い鮨より2人で目刺しの時代なんだ。金しかない男に奢られたところで嬉しくもなんともない。ぜいたくは敵ですらない。哀れな存在に成り下がる。

陰キャよ、自分を変えろ。金を持っても無意味だ。